いい加減と適当(2)
日本文化の根幹「いい加減」と「適当」は政治・行政の舞台でも遺憾なく発揮されます。
大宝律令(701年・飛鳥時代)をはじめとするいわゆる律令は中国から輸入されたもので、またもや日本人にとっては借り物なわけです。なんとなく「孫にも衣装」な感じの心地悪さがあったんじゃないでしょうか。
これ、何の話かといいますと、いわゆる武士がどういう理由で生まれ、どうやって貴族から政権をとったかという話です。
戻ります。
大宝律令は、超先進国「唐」から授けられた法律体系ですから我慢してたんですが、しばらくして日本人得意のローカライズぐせが出始めます。まず、臣下の最上位に摂政・関白、参議といったを職を設置します。もちろん藤原氏の影響が大きいですが、中国の皇帝と違って、日本の天皇は権威はあるけど、権力はふるわないみたいな存在なので(これは戦後のことじゃなくて、この当時からそうなんです。。)、政治の中枢機能から変えてしまった。
おまけに公地公民とかそういう行政の大原則も中国からの借り物で、当時の日本人にしてみれば「自分が耕した田なのに、国のものって意味わかんない」とばかりに荘園だなんだと開発し、土地の私物化を認める「墾田永年私財法」という税金を基礎とした律令社会の底辺システムを形骸化させる法律を作ってしまった。
律令の国家機能を頂点と底辺で完全に否定しといて、「播磨守」やら「伊予守」「上総介」なんていう律令で定められた名前は、好き勝手につけちゃうほど根付いてる。「もう、こんなんじゃ崩壊だ!」中国の官僚なら途方にくれることでしょう。
でも、日本が本当に日本になるのはそこからだったのです。
(将軍編に続く)
◆恐怖の時代
https://note.com/mazetaro/n/necc41b776ca7
◆更なる恐怖の時代
https://note.com/mazetaro/n/n31e341e69e1f
◆いい加減と適当(1)
https://note.com/mazetaro/n/n9064a5c9f8fb
◆いい加減と適当(2)
https://note.com/mazetaro/n/nc660bc6e93c3
◆将軍~GENERAL(前編)
https://note.com/mazetaro/n/nbba5de87d528
◆将軍〜GENERAL(後編)
https://note.com/mazetaro/n/n0e3dc3b8d351
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?