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2014年3月1日 無職になった日

3月1日、無職になった。

ブラジルに行くための準備をしなければと心は焦るが、実際どうすればいいのやら……。本当にブラジルに行けるのだろうか……。

「1冊でわかる!CD付!!」と書かれたポルトガル語の参考書を買ってみた。

参考書をパラパラとめくっていたら、最後のページを思わず二度見してしまった。「こんな時の一言」というページに2つの例文が紹介されていた。

Socorro!! (ソコーホ)

「助けて!!」

Pode levar o que quiser, mas nao me mate. (ポデ レヴァール オ キ キセール、マス ナォン ミ マーチ)

「なんでも持っていっていいですから、殺さないでください」

ブラジルは治安が悪いと聞くが……。

そっと本を閉じた。


2014年3月3日 アカン!チケット買えへん!

日も昇り切らないうちに起きたのは、いつぶりだろうか。その甲斐あってか、ブラジルまでの航空チケットを予約できた。ブラジルに、一歩近づけた気がした。

朝の日差しはとても柔らかく、春の訪れを感じさせる。しかし、優雅な気持ちでいられたのも束の間であった。驚嘆の声を上げた。インターネット上に、ワールドカップのチケット情報を見つけてしまったからだ。その説明文には、こう記されていた。

「2013年8月に行われるチケット第1次抽選の結果次第では……」

「ん!?2013年8月!?」

壁に掛けられているカレンダーを思わず見上げる。

「今日は、2014年の3月……」

ワールドカップが行われるのは今年2014年の6〜7月である。であれば、そろそろ先行販売が始まる頃だろう。

そんな僕の予想は大ハズレだった。すでに抽選は終わっていたらしい。

あまりにも、無計画であった。

チケットの入手は、それほど困難なのか。抽選のほかに、入手方法はないのか。今さら誰かに尋ねるのも恥ずかしくて、FIFAの公式サイトを開いてみた。FIFAとは、国際サッカー連盟のことである。

FIFAのサイトを開くと、隅から隅まで英語で書かれている。困ったことに、日本語のページが見当たらない。

英語がそこまで苦手というわけではない。イギリスにも1年間留学もしていたのだ。

ところがどうだろうか。ほとんど読めないのである。

留学先で身につけた英語力は、劣化の一途を辿っていた。あっという間に、「オレは語学に強い」という根拠のない自信が引き裂かれていった。公的な文章で使われる難しい英単語は、どこかで見たことはあるが、正確な意味が分からないのだ。

それでも時間を掛けて単語を調べるうちに、少しずつ内容が解読できた。

どうやらチケットは3種類あるようだ。


・単発で買えるチケット(Individual Match Ticket [IMT] )

・チームを指定して買えるチケット(Team Specific Ticket [TST] )

・会場を指定して買えるチケット(Venue Series Ticket [VST] )


問題は既に2度、抽選が行われてしまっているということである。2度目の抽選に関しても、1週間前に応募は終了している。さらに読み進めていくと、現在のチケット販売状況が書かれていた。

『販売受付期間:2月26日〜4月1日 ※先着順』

あかん!!完全に出遅れてるやん!!

早い者勝ちのチケット販売に気づいた今日は、3月3日。スタートから5日もビハインドしている。先着順のレースで、現状ぶっちぎりのビリのはずだ。加えて、もうひとつの深刻な事態に気付かされた。

チケットの価格が異常に高いのだ。

あかん!!こんなすんのかぃ!!

予選リーグの一番安い席ですら日本円換算で9,000〜10,000円もする。

仮組していた予算は全く足りていなかった。

なぜなら、Jリーグの試合を基準に、1試合3,000円くらいで買えるだろうと予算を組んでいたからだ。おまけに、本戦のトーナメントチケットは、価格が倍増する。

決勝に至っては、一番安い席でも約45000円である。高い席は10万円近い。

ぼったくりじゃないか……。音を立てて、心が砕けていく……。

ダメだ。ここで諦めたら僕のワールドカップが終わる。サッカーの祭典に行けないとなると、会社を辞めた意味すら無くなってしまう。僕は、ブラジルへ行くしかないのだ。

「日本代表といっしょにブラジルへ行きたい。そして、彼らの勇姿を最後まで見届けたい。」

気持ちを新たに。チケット捜索、再開。

FIFAのサイトを諦めて、日本サッカー協会のサイトを開いてみた。画面に溢れる日本語を見て、嬉しさのあまり泣きそうになった。

灯台、下暗し。

ワールドカップに向けて特別なページが作られていた。そのページを読み進めると、そこにはFIFAのサイトでは販売されていなかった、もう1種別のチケットの名前が書かれてあった。

・出場国協会用販売チケット (Participating Member Association [PMA])

「このチケットならまだ買える!!」

肝心なお値段はどうだろうか。

「7試合も観戦できて、今なら据え置き250,000円!」

いやいや、ゼロ1つ多いって。

冗談じゃない。1日1,000円で過ごす今の僕にとって、250日分の生活費じゃないか。流石に購入をためらった。

ブラジルに行けたとしても、帰った後どうするんだ。お金はない、仕事もない。

でも、待てよ……。

僕には夢がある。

「ワールドカップに行くんだ!!」

意を決し、購入画面に進む。すると、散々苦しめられたFIFAの英語サイトに飛ばされた。

またしても、「よそ行きの英語たち」が僕の行く手を阻む。

頭をフルに回転させて、文章を読み進める。そして、ついに予約完了の画面までたどり着いた。

Approval(承認)

ポチッ

Successful(成功)

抽選が必要なチケットではないはずなので、この予約完了画面が表示されたということは……。僕はついに「ワールドカップへの切符」を手に入れたのだ!

家で一人、歓喜のガッツポーズをした。そして、預金口座から25万円が消えた。

心底ほっとした。さきほどまで攻撃的に感じられた様々な情報たちが、今は強力な味方に思えた。僕はネット上でワールドカップ行きを宣言している人たちと、同じ舞台に立ったのだ。

勢いに乗って「ワールドカップ チケット 受け取り」と検索してみた。その結果、こんな書き込みがいくつも見つかった。

「いつまで経ってもチケットが送られてこない」

あかん!!もらえへんこともあるんか!!

買うだけじゃダメなんて、詐欺じゃないか。

FIFAは、悪の組織なのか。僕のなけなしの退職金は、騙し取られてしまったのか。不安のあまり、貧乏ゆすりが止まらなくなった。

恐ろしくなり、購入したチケットについて改めて確認した。すると、さらなる不安要素に気づいてしまった。

僕が購入した「PMAチケット」では、自国の代表チームの試合しか観戦することができない。つまり、日本が負けた場合、その先はないのだ。日本以外の試合も観戦するつもりだったのだが、既に25万円も払い込んでしまったので、これ以上チケット代は払えない。敗退した場合には払い戻しもあるようなのだが、本当に返ってくるのだろうか……。

文字通り、日本代表と運命を共にすることになった。

そしてもうひとつ、大きな問題に気付いた。

「PMAチケット」では、予選グループの3試合だけではなく、決勝進出した場合にも試合を観戦することが出来る。しかし、決勝リーグの試合会場は直前までわからない。予選リーグを1位通過した場合と、2位通過した場合では会場が異なるからだ。

そのため、旅の後半の予定を組むことが出来ないことに気付いたのだ。

とりあえず、試合会場となる年の位置関係を調べてみることにした。しかし、適当な検索ワードが思いつかない。とりあえず、「ブラジル 国土」と入力してみた。

出てきたページの書き出しを見て唖然とする。

「ブラジルの国土は日本の約22倍もあり、国内のどこへ移動するのにも飛行機の利用は必須です」

アカンアカン!!デカすぎる!!

いくつかブラジルの国内線についても調べてみたけれど、飛行機の予約には英語かポルトガル語での解読が必要だった。

もはや、そんな体力はない。

大きなため息をつき。窓に目を向けると、外は既に真っ暗だった。時刻は22時。ご飯も食べないまま、16時間も机にかじりついていたのだ。そっと席を立ち、夜風を求めて外へ出た。

歩きながら音楽を聴くことで、なんとか心を落ち着けようとした。けれど、いつの間にか頭の中は、正体の掴めない不安で埋め尽くされる。

気がつけば、全力で走っていた。

僕を走らせた曲。

『Run boy Run』Woodkid

「走れ!少年よ!走れ!」

その言葉が、僕を追い込んでいく。

後ろから、何かが迫ってくる。

逃げるように、左右の脚を前へ出す。

アスファルトを、蹴る。蹴る。蹴る。

ビートが、心臓を、打つ。打つ。打つ。

全てを置き去りにしてやろう。

そんな感情とは裏腹に、肺が悲鳴をあげ始めた。脇腹も痛み出した。そして、遂には立ち止まってしまった。

そういえば、今年になってから、ろくに運動をしていなかった。荒い呼吸のまま、夜の海を見つめた。

この海は、ブラジルとつながっている。

やって出来ないことは無いはずだ。

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