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積んどく積読

ある方の積読を紹介している記事を読んでいてふと、「積読」という言葉をつくった人ってセンスあるなあと思った。

「積読」と書いて「つんどく」。たぶん熟語界のセオリーでいうなら「セキドク」と読むべきだろう。でも「積んでおく」と意味をかけたいから無理やり訓読みにして「つんどく」としたんじゃないかなと想像する。

「先生!百歩譲ってどうしても訓読みにされたいというお気持ちはわかりました。しかしそれなら『つむどく』が正しい読みになるのではないでしょうか?」
「ふむ、君。なかなか鋭い指摘をするではないか。ちょっと近う寄れ」
「近くに…ですか?」

……ズバッ!ギャーーーーッ!

「……さて。他にこれを『つんどく』と読めない者はおるかの?」
「い、いえ。全く問題ございません」

たぶん言葉作り委員会にはこういうシャレを認めないお堅い人が多そうだし、このくらい無理やりにつくった言葉なのかもしれない。ちなみに私はこの記事を書くにあたってなんの下調べもしてないし、言葉作り委員会というのも今私が適当につくった架空の組織である。そもそもどうやって言葉ってできるんだろうね(鼻ほじほじ)。

あと思うに、まだ読んでいない本が積み上がっている状態をビジュアル的に表現するなら「積本」の方が言葉としていい気はする。つむぼん。だって実際に積まれているのは本なんだから。「読む」を「積む」ってなんだよ。行動を積むなんてできないっつーの。だいたい……えっ?いや、なんでもないです。すいません今のはほんの冗談で……ち、近くに呼ばないで!

積読って言葉がいいなと思ったというだけの話がしたかったのだけどなぜか発案者が狂気的な人になってしまったな。発案者さんごめんなさい。とにかくユーモアがあってとても素敵な言葉だと思います、積読。

ちなみに現時点での私の積読はこれ。

noteで創作大賞にもなった「パパと私」の著者、伊藤亜和さんの初エッセイ本。(パパと私はこれ。良すぎる)

あとこれ。翻訳家の岸本佐知子さんのエッセイ本。

読んでない本についてあれこれ言う資格はないけども、岸本佐知子さんについて言うなれば私は昔から岸本さんの書くエッセイのファンだ。なんてへんてこな妄想してるんだと思う。読んで気づく方なんていないと思うが、私の書く文章のスタイルはたぶん岸本さんからきている。学生の頃、岸本さんの『ねにもつタイプ』というエッセイ本を真似して私もそれっぽく文章を書いていたりしたので(今やどこにも原型がない気がするけども)。

ちなみに、Xとかでよく本の紹介をしている人が積読のことを「罪読つんどく」と自虐して書いているのを見たことがある。それを妻に話したら、編み物界隈でも毛糸をたくさん買いすぎて在庫が溢れると「罪庫ざいこ」と言ったりする人がいると教えてもらった。各々の沼にハマった人たちが罪の意識と戦っていておもしろい。

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