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クリスマスの思い出

西尾さんのこちらの企画に参加してみようと思います。


小1くらいだったか、私はサンタの存在を疑いだしていた。

実はサンタなんていなくて、プレゼントは親が買って枕元に置いているんじゃないだろうか。

夜中にプレゼントを置いているところを現行犯で捕まえられたら確実なんだろうけど、夜はどうしても眠くなってしまう。どうすれば確かめられるかと考えて、サンタから貰いたいものを親に伝えるのをやめようと思いついた。

親を通さずに別のルートでサンタに欲しいものを伝えて、本当にクリスマスにそれが届いたらサンタは存在する。違うものだったらサンタは存在しない。配達時がだめなら注文時に実験してみればいいのだ。

私は友達にどうすれば親を通さずにサンタへ連絡がとれるかを聞いてまわり、ある友達から「うちは手紙を書いて枕の下に入れて寝てたらサンタが読みにくる」という有力な情報を得た。それで「カービィのゲームをください」と手紙に書いて枕の下に入れて寝た。もちろん親にはサンタさんに何をお願いしたいのかと聞かれても「別に」とはぐらかしてやり過ごしていた。これで準備万端。

そしてクリスマスの朝。枕元に届いたプレゼントはカービィのゲームではなく、全然欲しくもなかったトトロのジグゾーパズルだった。

その時思ったのは、クリスマスなんてニセモノじゃないかということだ。


大学生になり、クリスマスはプレゼントを貰う日から恋人達を呪う日に変わった。

当時の私といえば経済学部に入学したものの経済というものに全く興味がないことがわかり、授業も寝てばかり、すると理解ができなくなりますます行きたくなくなるという悪循環に陥っていた。

時間ばかりがあって脳がどんどん溶けていくような状況の中、恋人のいない者たちで集まってクリぼっち会を開いた。クリスマスと一番かけ離れた行動をしようと思い、イブの夜にみんなで和食を食べてみたり大学の図書館で仏教の本を借りて読んだりしていた。でも頭のどこかで、クリスマスとは逆の行動をすればするほど互いの傷を舐め合っていることに気がついていて皆でサウナに入ってる間にふと虚しくなったりもしていた。

その時思ったのは、やはりクリスマスなんてニセモノで浮かれるやつはバカだということだ。


大学3年、こんな私にも恋人ができてわかりやすく浮かれていた。

彼女へのクリスマスのプレゼントに、何かしらの暖かい洋服と自分で作った絵本を渡した。彼女は私が当時mixiに書いていた妄想話が好きだと言ってくれたので、無印良品の絵本っぽいノートに挿絵付きの話を書いてわざわざ作ったのだった。しかもあれだ、ラブストーリー的なやつでもなく鶏のムネ肉が落ち込んでいるところをササミが励ますみたいな何の教訓もない嫌なグリム童話のような話だった(やはり脳が溶けていたとしか思えない)。

そうして彼女とクリスマスを過ごした時に「あーええもんや。マジかよ。こんないい気持ちになるのかよ」と思った。

価値や思い込みなんて簡単に変わるものだ。


さて親になった今思うのは、こどもたちにもクリスマスを楽しんでもらいたいなということだ。はたして何歳までサンタを信じてもらえるだろうか。

この前教えてもらったけど、最近は公認サンタがフィンランドから来日したニュースまでやってるみたいだ。もはやサンタは架空の人物ではなくなっている。

このニュースとかをこどもに見せてサンタの存在をリアルに想像させて、このサンタが亡くなったので私が二代目サンタをやることになったという話をしてみようか。

もし私が二代目サンタとなった場合、父は父でなくなってしまう。でも私が断った場合、世の中にクリスマスはこなくなってしまう。お父さん、どうすればいいかな?という二択をこどもにせまったりとかしてみたい。

世界の重さと、自分の幸せ。どちらかを選ばなければいけないという難しさ。その重さを小さな肩に乗せるのはちと荷が重いかもしれんな。 

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