【小説・掌編】「ねずみが嗤う」

再掲ですが、リライトしました。ハードボイルド風のショート作品です。

 下り列車が到着した。しばらくして神田が改札を出てきた。大きな男なので目立つ。チャコールグレーのスーツ。グレーのシャツ。ネクタイもグレーだ。グレーの中折れ帽まで被っている。靴とキャリーバッグだけが黒だ。
「ねずみだな」
 神田が近付いてきたので、土屋は言った。
「マウスじゃないな。ラットって感じだ」
「悪くないな。ラット神田だ」
 唇の端を上げて笑う。二十年前は、こんな笑い方をする男ではなかった。
 高校時代は、もっぱら楕円のボールを追いかけた。県大会の決勝だった。つまり、あとひとつ勝てば花園だったのだ。リードされて終盤、神田が相手ボールを奪った。インターセプト。ひた走る。トライなら逆転である。土屋も追走した。対戦チームの選手が迫る。
「回せ」
 必死に叫んだ。パスをもらえば、持ち込む自信があった。しかし、神田は自力にこだわった。あと二メートル。捕まった。倒される。試合終了の笛がなる。
 高校卒業後、神田は東京の大学に進んだ。何年かして、弁護士になったと聞いて、なるほどと思った。もともと頭のいい男だったのだ。
 土屋は、生まれ育った地方都市で家業を手伝った。今では土建屋の若社長だ。
 久しぶりに神田の姿を見たのは、昼食に入った蕎麦屋のテレビだった。
 薬害被害訴訟の、原告側弁護団のひとりとして、神田は記者会見に臨んでいた。徹底的に闘うと息巻く姿を眺めながら、土屋は蕎麦をすすった。
 後日、和解金で折り合うことになり、強硬派の弁護士は解任された。それが二年ほど前のことだ。当然、神田の姿も見なくなった。
 先月、電話があった。小さな事務所を探してくれ。彼の声は、必要以上に威勢がよかった。
「安けりゃ助かる。狭くてもかまわん」
 心当たりを調べて、土屋は適当な物件があると伝えた。築三十年で、賃料は安い。
「明日の昼前に行く」
 即答だった。
 久々の故郷のはずだが、神田は懐かしそうな顔をしなかった。
 雑居ビル三階の貸しオフィスに、連れて行った。彼は「これでいい」と言った。あっさりしたものだ。
「電話さえあれば、商売はできるさ」
「おまえ、引っ越しの荷物なんかは」
「全部、ここさ」
 黒いキャリーバッグを指さして言う。
「これで全部だ。家も家財道具も、元女房にくれてやった。こっちでは実家住まいだし困らん。資料なんかは知り合いに預けてある」
 皮肉っぽい笑みを見せた。
「なんでだろうな。ついつい抱えすぎちまう。さっさとパスを出せばいいのにな。その結果、全部台無しだ。家庭も仕事もな」
 伸びをする。
「ラットか。ドブネズミはしぶといぞ。泥水すすってでも生き延びてやる。次に東京に行くときは、山ほど荷物抱えて凱旋だ」
 神田が初めて声を出して笑った。

 一週間後、土屋は事務所を訪ねてみた。外から見ると、窓に紙が貼り付けてある。「神田法律事務所」。明らかに手書きだ。貧乏くさいにも程がある。
 土屋は階段を駆け上がった。開けっ放しのドアを入ると、神田がソファでふんぞり返っていた。今日も服装はグレー一色だ。
「看板ぐらい、うちの会社で作ってやる」
「お前んとこは土木建築業だろうが」
「開業祝いってやつだ」
「事務所開きってんだよ、土屋」
「同じようなもんだ」
 神田が真面目な顔になった。
「お前のところ、トラブル抱えてるだろ」
 土屋は言葉につまった。地獄耳とはこのことだ。
 東京の不動産会社が、土地取引を持ちかけてきた。山奥の使い途がない場所だ。そこに、荒っぽい連中が絡んできた。最近は仕事に影響が出ている。
「俺に任せてみないか。安くしとくぜ。仕事が来なくて、暇を持てあましてるんでな」
 土屋は躊躇した。国や大企業を相手に闘ってきた弁護士を、こんなことに巻き込んでいいのか。
 見透かしたように神田が言った。
「土屋、俺が言うのもなんだけどな」
 ニヤリと笑う。
「パスは早めに出すもんだぜ、倒れる前によ」 神田がソファから立ち上がった。
「それにな、俺は感謝してるんだ。こんな何もかも無くしちまった男でも、迎えてくれるヤツがいる。駅でお前を見たときは泣けたぜ。チームメイトってのはいいもんだ」
 じゃあ、早速取りかかるぜ。神田が出て行く。土屋は「おい」と呼び止めた。
「何、カッコつけてんだ。ここの留守番、俺がするのか」
 神田がしまったという顔で、振り向いた。
「そりゃ、そうだな。お前も困るよな」
 ねずみの苦笑。土屋は、声を出して笑った。それだけで、契約が成立した。

 蝉の声がうるさい。暑くなりそうだ。
 出社すると、駐車場で佐藤が洗車をしていた。上半身は裸だ。土屋を見て頭を下げた。二十歳を少し過ぎたばかりの若造だ。
 高校までは、有望なラグビー選手だった。快速のスタンドオフ。OBの土屋も注目していたが、怪我をして荒れた。ヤクザと関係ができ、困った母親が相談に来た。
 頼まれると断るのが苦手だった。山村組の事務所。日浦という男が出てきた。若頭補佐だという。佐藤を返してくれ。頭を下げた。意外にあっさりと、日浦は承諾した。
「構いませんよ。私らも困ってたんでね。未成年じゃないですか。鉄砲玉にもなりませんのでね」
 少しの間。日浦が続ける。
「社長さん。これをご縁に。ビジネスの機会がございましたら、よろしく頼みます」
「礼を言う。佐藤は連れて帰る。それから、俺のところはヤクザと仕事はせん」
 土屋の返答に、日浦はニヤニヤしていた。
 不貞腐れている佐藤を、会社に連れて行った。駐車場で投げ飛ばす。立ち上がるとタックルを食わせた。何度も繰り返す。やがて立ち上がらなくなった。倒れたまま泣いていた。
「お前はウチで雇う。拒否権はないからな」
 翌日、佐藤は似合わないジャケットを着て、会社にやって来た。四年前のことだ。
 その佐藤に指示をして、倉庫から古い書類ロッカーを運ばせた。神田に頼まれていたのだ。事務所の場所を教えると、軽トラが飛び出していった。
 二時間ほどして、佐藤が戻ってきた。
「社長、あの神田っていう人、すごい弁護士じゃないっすか。それに渋くって。社長と同期で、俺の先輩だって」
 目が輝いていた。
 佐藤が心酔したので、神田の世話を命じた。事務所の留守番にはなる、社用車を使うことも許可した。今、神田が取り組んでいるのは土屋建設が抱えている問題なのだ。

 熱い日が続いていた。電話が鳴る。記憶に残る声。
「土屋社長、お久しぶりです。日浦です」
 蝉が鳴き止んだ気がした。
「例の土地なんですがね」
 山の土地のことだった。正体不明の東京の不動産会社。そこが持ちかけてきた取引だ。どうにも使えない山間の土地。開発の予定もない。
「今だとお安くできるので、ぜひ契約の方を」
 そういうことかと思った。不動産会社と山村組はグルなのだろう。
「あんな所、買えるか。馬鹿を言うな」
「土屋さん、結局買うことになるんだから、めんどくさいことはやめましょうや」
「どういう意味だ」
 答えずに、相手は電話を切った。

 神田に会った。相変わらずの服装だが、ネクタイには楕円型のボールの模様があった。
「誕生日でな。お前のところの佐藤がくれた」
「ウチのと言うより、ヤツはお前のお抱えだ。少しは給料、払ってもらいたいもんだぜ」
「俺にそんな余裕があるか」
 山の土地の件を話し合った、神田は、何度か東京と関西に出かけていた。
「交通費だけでいい」
「そんな訳にいくか。すべて請求してくれ」
「いや、いいんだ。前にも言ったろ。感謝してるんだ。佐藤っていう若造にもな」
 珍しく、神田が照れたように見えた。

 出社の準備をしていると携帯が鳴った。現場責任者の木口からだ。切迫した声が響いた。作業現場に、佐藤が倒れていたという。
「なんて言うか、ちょっとヤバいんで」
 病院。車に飛び乗った。飛ばす。
 木口の姿が見えた。佐藤の母親もいた。土屋は怒鳴った。
「どんな具合だ」
 顔を殴られたのか、眼窩底骨折、肋骨が二本、左脚も折られている。
「ひどいのが」
 木口が苦しそうに言う。
「右の手首から先の骨が粉々なんですよ。医者は切断せざるを得ない、と」
 半殺しではないか。どうしたというのだ。土屋は呟いた。
 手術室から医者が出てきた。佐藤の母親が駆け寄る。土屋たちも続いた。
「なんとか処置しました。大丈夫です。落ち着いたら義手を作りましょう」
 医者は努めて明るく話していたが、やや声を落として「ただ」と言った。
「心配なのは精神的なショックですね、手を失ったという。ぜひ、支えてあげてください」
 佐藤の母親が頭を下げた。丸まった背中、土屋は苦い思いを噛みしめた。

 山村組に乗り込んだ。
 日浦がせせら笑っている。問い詰めたが、「何を根拠に」と繰り返すだけだ。
「佐藤ってのは、前にいたガキでしょうが。知ったことじゃありませんや」
 土屋の気持ちを無視して続ける。
「それより社長、例の件、話を進めましょう」
 日浦が声の調子を変えた。
「お宅の社員に何かあるといけませんし」
「それは脅しってわけか、日浦」
「滅相もない。一般論ってヤツですよ。それと社長、わけのわからん弁護士を、うろうろさせるの、止めてもらえませんかね」

 ひと月近く、神田は姿を見せなかった。一度だけ、病院に来ただけで、事務所にもおらず、連絡がつかないこともあった。
 佐藤の事件には警察も動いていたが、山村組は尻尾を出さない。そんな間抜けなことはしない。当然だと土屋は考えていた。
 
 またも、日浦からの電話だった。何度目だ。受話器を叩きつけた。
「えらい剣幕だな」
 いつの間に入ってきたのか、神田が立っている。相変わらず服装はグレー一色だった。 ひげが伸びている。驚いたことに、そのひげと髪が灰色に変わっていた。
 神田が目で合図をする。試合中のような気分になった。駐車場に出る。上半身裸で、洗車していた佐藤を思い出した。
「神田、お前、その髪」
 神田は答えず、たばこに火を点けた。
「例の土地だが、片がついた。今頃、日浦の野郎、あわててるぜ。来週には捜査が入る。そのあと、関西の組織が乗り込んで来て、山村組を傘下にする。まあ、それがいいか悪いかは、微妙なところだがな。規模じゃ、大人と子どもみたいなもんだ。」
 神田が煙を盛大に吐き出した。
「どぶねずみを舐めるなってんだ。コネと人脈、全部使ってやった。国や大企業相手に喧嘩してきたんだ。大物大臣の弱みを握ったんで、それも利用した。警察とヤクザが同時に動くのは、そんな訳だ」
 神田は饒舌だった。
「まったく、十年分の頭と体を使ったぜ。おかげで髪がねずみ色だ。関西の大親分と向き合った時は、さすがにびびった」
「そうか、それは」
 神田が制した。
「待て、土屋。これで終わったわけじゃない。俺にはまだやることがある」
 神田の言いたいことが、土屋にはわかった。
「それは俺が」
「ばか言うな。俺が動いたから、佐藤がひどい目に会ったんだろうが」
「おい、神田。また一人で突っ走るのか。今度は俺にもパスを回せ」
 一度鼻から息を吐いて、神田が頷いた。
 
 大型のダンプを出した。よじ登るようにして神田が乗り込んで来た。
「お前は危険運転で免許停止だな。裁判になったら俺に任せろ。そうだ、ドライブレコーダーは切っとけよ」
「そんなもの、始めっから付いてない」
「佐藤の仇討ちだ。派手にやってやろうぜ」
 神田がネクタイを締め直す。楕円球の模様。試合開始だ。
 山村組の事務所が見えるところまで、土屋は慎重に運転した。あと二十メートル。神田に合図をした。加速。ハンドルを切る。ガラスが割れる音。何かが壊れる。叫び声。
 一度後退させてから、再び突っ込む。車体が建物にめり込んだ。壁の破片や埃が舞う。その中に、腰を抜かした日浦の姿が見えた。目を白黒させている。
「ナイストライだ」
 呟いて、ねずみが嗤った。            (了)


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