【雑文・読書感想文】『渚にて~人類最後の日』ネヴィル・シュート、佐藤龍雄訳 創元SF文庫

 1957年の作品。SFの古典である。その新訳版。
 第三次世界大戦が勃発し、人類は核兵器を撃ちまくる。挙げ句、放射能汚染された地球では、最後の時が近付いている。
 放射性の物質は北半球から南に向かってくる。最後まで生き延びているオーストラリアに、これもかろうじて生き延びたアメリカの潜水艦スコーピオ号が退避してくる。艦長がタワーズ大佐。
 物語は、そのタワーズ大佐を中心に、彼が出会う人たちを通して、終末を描く。
 冒頭で派手なことは起こらない(既に起こってしまっているわけだが)。爆破もなければ、銃撃戦もないし、死体も転がっていない(既に北半球は全滅していて死体だらけなわけだが)。
 作者は、オーストラリアの人々を描く。
 世界の終わりが間近でも、人々は日々の営みを続けている。困難はあっても、レストランは営業しているし、鉄道も使える。家具や芝刈り機を買うこともできる。家庭菜園を作り、牧場では牛を育てる。
 極限状態である。パニックになる人もいるが、それでも暴動が起こることはない。今までと同じように暮らそうよ。そう努力している。
 今、私たちが絶滅のカウントダウンを聞いているとしたら、同じように振る舞えるだろうか。誇り高く最後の日々を過ごせるのだろうか。この小説は、それを考えさせてくれる。切実に。
 
 1959年に映画化されている。グレゴリー・ペックにエヴァ・ガードナー、アンソニー・パーキンス、フレッド・アステア。ものすごいキャスティングだし、説得力がある映画だと思うが、この「誇り」の解釈で、原作との差がある。
 タワーズ大佐は既婚者で北アメリカ大陸に妻と子どもを残してきている。当然、生存しているとは考えられない。
 オーストラリアで、彼はモイラという女性と親しくなる。お互いに親密な感情を持つのだが……。
 小説では、人生の最後の数週間、タワーズは妻を裏切ることはしないと考える。モイラとは感謝のキスを交わすが、そこで踏みとどまる。「不倫」には踏み込まない。モイラも彼の気持ちを理解する。時間が許すなら違う未来があったかもと思いながらも。
 映画では、そこが描かれない。しっかり愛し合ってますやん。めっちゃ激しい接吻してますやん。そう受け取れる描写である。この差は大きい。
「原作読んでから、映画見たらあるある」かも知れないが、残念な点だった。深みが違う。
 映画も駄作ではない。人類の愚かさと切なさは充分伝わる。潜水艦を脱走した隊員との別れにシーンは秀逸だ。
 小説も映画も、未来と平和を考えるための、よい教材だ。
 

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?