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パリのマミコさんとわたし【1】

「1週間終わったぁ。疲れたぁ。」

金曜の夜、地下鉄のMairie d'Ivry駅の地上に繋がる階段を重い足取りで登っていると、前から強い香水の匂いがした。

「あ、この匂い。」

前を見ると男性のように体格の良いヒョウ柄のファーコートを着たアジア人とおぼしきマダムが階下に向けて急いで階段を降りようとしているところだった。周りの人が暗い足元に注意しながら前かがみで階段を降りる中、そのマダムだけは、胸を張り、背筋をピンと伸ばしたまま、周りを蹴散らしているかのような目線を送りながら(少なくとも私にはそう見えた。)、9cmはあろうかピンヒールで器用にテンポよく階段を降りていた。

どうやったらあんな風に階段を降りれるのだろうか、私は一瞬足を止め、彼女に見入ってしまった。

すれ違う時に、強く鼻をかすめた香水の匂いは意外にもそんなに嫌な感じはなく、あのマダムの存在感そのものを印象付けるような強くたくましい香りだった。

「あの人、前も見たなぁ。日本人かなぁ。何をしている人だろうか。」

最近引っ越してきた家の周辺で頻繁に会うこのアジア人マダムについて逡巡しながら、家までの帰り道、石畳につまづかないように、また下を見ながら歩いていると、後ろから、突然、誰かに羽交い締めにされた。

「ひっ。」

人間本当に恐怖に陥った時、大声なんか出ない。

今まで生きてきた31年が一瞬にして迫ってきた。小中高大とこじらせにこじらせたような気がしたけど、30になってようやくパリという居場所を見つけたと思った矢先に、私は暴漢に襲われ、死ぬのか。パリで暴漢に襲われた日本人独身女性死亡と日本で大体的に報道され、だから、こじらせた女なんかがパリになんて行くからとかなんとか言われるんだろうか。そんなショウモナイ事などが一瞬にして脳みその中で溢れかえって、絶望に埋まった。その瞬間に後ろから、聞き慣れた声が聞こえた。

「冗談だよ!」

「おまえ!」

思わず、日本語が出る。

振り返ると、私の体から手を離したルームメイトのアニスがこちらを見てまんべんの笑みで爆笑しながら、立っている。

「驚きすぎでしょ。ウケる。」とかなんとか言いながら、盛大に笑い続けている。呆れながら文句を言ってみるものの、アニスの笑いがなかなか止まらない。そこまで笑われると一瞬にして沸点に達した怒りも、吹き消されてしまった。

「暴漢に襲われて死ぬんだと思ったわ。もっとやりたいことやっときゃよかったって一瞬にしてめちゃくちゃ思った。」

トマはこの言葉がさらにツボに入ったらしく、私の右手に持った買い物袋を何も言わず、持ってくれつつも、ずっと笑っている。その姿を見ていると

こっちまでつられて笑顔になってしまう。

「パリに来て良かったなぁ。」

と思った。

読者の皆様は何を唐突にと思うかもしれないが、こんなどうでも良い時に、結構こう思っちゃうのがこの街の不思議なところだ。

仕事帰りに疲れた帰り道、毅然としたマダムに見入って、道端で友達に驚かされつつも、一生分くらい笑ってもらう。

そんな小さい幸せにいちいち気づける街なんじゃないかなと思ってる。

ちなみにがっかりさせてしまうかもしれないが、Mairie d'Ivryはパリの7番線の最終駅で、正確にはパリ郊外だ。パリ中心まで地下鉄で20分、交通の便と家賃の安さが気に入っている。

アニスの笑いがようやく収まって、シェアルームまでの長い螺旋階段を登っている時に、あの匂いがまたした気がして、あのアジア人マダムのことを唐突に聞いてみたくなった。

「なんか最近、家の近くで、姿勢が良くて、かっこいいアジア系のマダムを見るんだけど、知らない?」

「何そのざっくりとした質問。そんなざっくりした質問じゃわかるわけないでしょ。本当にマリは面白いなぁ。」

「そうだね。ごめん。なんていうか、すごいかっこよくて。特徴としては、いつも強い香水の匂いがするんだよね。」

「そんな人パリじゅうにいるしねぇ。」

「そうだねぇ。」

なんて言いながら、私たちは少し息を切らしつつも、自分たちのアパルトマンの扉の前に着いた。

中から何だか騒がしい声が聞こえる。

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パリに住んだ作者がパリの日常と生活を書いていく短編小説です。場所などは実在の場所です。
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