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本棚の整理 : 野望ガラクタとの決別

この間の連休はまた実家に帰っていたのですが、今回はついに(?!)野望ガラクタとお別れすることができました。

私にとっての野望といえば語学。 
中学生のころにドイツ語をかじったのを皮切りに、色々な言語に興味を持ってきました。
これで身に付いているなら格好もつくのですが、私の場合は、次々と手を出しては放り出すの繰り返し。
飽きっぽいのか、やる気が続かないのです。
もはや、野望という名の黒歴史。
今にして思えば、いくら勉強してもできるようにならない英語からの逃避だったのかもしれません。

そのことにうっすらと気づいてみると、色々な言語に次々と手を出したのは一種の自分探しのようなもので、心からの興味ではなかったのでは、とも思えてきました。
長続きしないのも道理です。
まして今は、集中力の切れやすいお年頃にさしかかっています。
ここ数年はまっている中国語でさえ、テキストを開いて文法を覚え、単語をこつこつ仕込むという地道な作業をこなすのはちょっとつらい感じ。
いろんな国の言葉ができるようになったらいいなあ、という気持ちとはうらはらに、語学本たちはただのガラクタと化していました。

ということで、しばらく前からテキストや単語集の類を片付けはじめました。特に、山のようにあったNHKの語学講座のテキストには、ただコレクションしていただけだったなあ、とため息が出ました。

で、もうだいぶ片付いたと思っていたのですが、この間、実家の本棚を見ていて気がついたのです。

辞書が、当たり前のように鎮座している。

そもそも使いこなせていなかった英英辞典をはじめ何冊もの辞書、ついでに高校時代に使った国語辞書や古文、漢文の辞書。

これ、要らないんじゃ?…

語学好き(エセですが)にとって、辞書を手放すのは些か後ろめたいものがあります。
けれど、このまま持っていてもたぶんこの先、使うことはない。
少しばかりぐるぐると考えましたが、思い切ってさようならしました。
おかげで本棚も気分もすっきりです。

辞書って盲点ですね、あるのが当たり前だったので。

さようならクロアチア語…
ほかのみんなもごめんね。

こなしきれない大量の語学ものとは、これでようやく決別できました。
手元に残したのは、中国語とロシア語のテキスト数冊と辞書だけ。
これだけはガラクタにしてしまうことなく、やる気度合いの波はあっても、これからも続けていくつもりです。

後日談 :
その後、親が突然、「そういえば、国語の辞書、向こうに持ってっちゃったの?」と聞くじゃないですか。
えっ、あれ使ってたの?!
まさか処分したとは言えず「うん」とだけ回答。
ほかにも使っている人がいたなんて… 盲点(泣)

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