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発酵カレーとお坊さん

スパイスカレーが好きで
趣味でたまに作ります。

これは味噌を入れた和風キーマカレーを
作ってみたときの写真。

▪︎スパイス
カルダモン、クミン、ターメリック、コリアンダー、カイエンペッパー、
▪︎材料
かつお節、トマトピューレ、人参、合い挽き肉
にんにく、生姜、玉ねぎ
▪︎調味料
味噌、醤油、胡麻油、はちみつ

少し前に作ったので
冬野菜をつけ合わせに。
大根の葉胡麻油炒め
白菜とにんじんのサワー漬けを。


ここからカレーと全く関係ない話になりますが、
実は関係あるのでぜひお付き合いくださいね。


毎年4月8日に行われる「花まつり」は
仏教の始祖である釈迦の誕生日を祝う祭りだとか。


これが、私。という自分はあるようでなくて
家庭、仕事、友達付き合い、いろんな場面ごとに
それぞれの自分を演じて生きています。


どれもわたしだし、わたしではない、
どれが本当の自分だかわからないことも。


仏教では「変わることのない本当の自分というものはありません」と説いています。これを
「諸法無我」といい、自分だけでなくこの世の全てにおいて、変わることのない実体(仏教ではこれを「我」といいます)は無いという見方をします。

吉田武士 浄土教僧侶。
カレー版子ども食堂「いきなりカレー」主宰


あ、わたしは仏教徒ではありませんが、
スパイスカレー好き繋がりで
カレー坊主 吉田武士という方に出会いました。



カレーって嫌いな人があまりいないと思うんです。
単純に美味しい、って思うしすぐに作れて
どこか懐かしい思い出が甦ったりしませんか。

大衆的なカレーと、どこか浮世離れした仏教。
お坊さんが話す難しいお話が、大衆的なカレーに例えるとなぜか、妙に納得できたのです。

カレーが美味しいと感じるのは、個性のそれぞれ違ったスパイスが混じり合って、複雑な味のはずが口の中で調和していると感じるから。
ルーのカレーがオーソドックスですが
あのルーも、必要なスパイスが調合され
そして絶妙なバランスで配合されています。
ルーは配合が決まっていますから誰が作っても
対外味は変わらない。我が家はルーを使ってカレーを作ることの方が多いです。わたしも子供も好きですし簡単で美味しいですよね。


だけど、スパイスを使ったカレーが無性に食べたくなるときがあるんです。
よっしゃ!と気合入れて作ることがあります。
娘は食べなくはないけど、スパイスカレーよりも
ルーのカレーが好きなので、完全に自分のために。

そして、スパイスカレーの不思議なんですが
同じ材料で作ったはずが、
毎回違う味わいになるんですよ。
美味しい!と思う時もあれば
正直いまいち、、な時もあります。

炒める温度とか、材料の切り方とか
混ぜ合わせるタイミングとか
調味料のちょっとした分量でも変わってきます。


話を戻します。


なんだか、スパイスカレーって
人間と同じじゃないかって思ったんです。
スパイスひとつひとつの集合体でカレーができている。
だけど、それは毎回違うものだったりするし
どれが正解かなんてわからなかったり
正解がなかったりするもの。


"変わることのない本当の自分を探すこと"
それは
カレーのスパイスをひとつひとつの材料を取り出してその中に「カレー」を見出すようなものです。
カレーはスパイスの集合体であり、カレーに実体はありません。
そう、私の中に「本当の自分」を探しても
見つからないのです。

吉田武士



炒める温度とか、切り方とか
混ぜ合わせるタイミングとかで
変わるカレー。
正解はあるようでないところも
人と同じかもしれない。


違うからこそ、挑戦し続けたくなるし
決まりきってないからどんな自分にもなれる。
スパイスカレーには決まりがありませんからね。



自分の中に探しても見つからない。
何かとの関係性の中にしか「自分」を見ることができないですからね。



書いていたらまた作りたくなりました。
お読みくださりありがとうございます。

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