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貧乏と不幸はイコールじゃない

この世界には金持ちと貧乏がある。
そして、貧乏にも2種類あって
不幸な貧乏と
不幸じゃない貧乏だ。


貧乏、というのは個人的な主観でしかないけど
今の日本の物価高騰に給料上がらないという現実は
どう生活に影響するのか。それはその本人や家族にしかわからない事です。


今回は、ステレオタイプじゃない、
リアルに本人が感じていることは世間の見方とは
違うかもしれないよ?ということを書いていきます。
よろしければ、お付き合いください。


誰でも貧乏にはなりなくないし
この世界に生まれた時から豊かさを望んでいる。


それでも、この世界には
金に困らないひとが確かにいる反面で
貧困がなくならない。

なぜなのか?


わたしはシングルマザーです。
離婚したのは娘が6歳のとき。
まだ子供は小さくて、わたしがいなきゃダメだったし感受性が鋭く繊細で本当に手がかかる子でした。
パパのことが大好きだった娘は
もちろん離婚の現実を理解することなんてできず
わたしも理解を求めてもいませんでしたが
パパに会いたくて泣きながら電話をしていた記憶があります。

努力では、どうにもならない現実と
目の前の娘に作ってしまった悲しみの溝。
わたしはただ自分を責めて
毎日絶望感を感じるしかなかった。


離婚はしたくないのは当たり前。
わたしもそれは確かでした。
一度は愛した人です。
誰が自ら辛い現実を選ぼうとする?
離婚だって自分で選んだとしても
離婚すると分かっていて結婚する人はいないでしょ?

そんなこんなで
子供と2人暮らしを始めて気づけば10年。
娘も16歳になっていました。


今は更に離婚率が上がり、離婚も再婚も珍しくない中
その中で元配偶者からの養育費を貰っている確率はわずか15%ほどだといいます。
シングルマザーで、非正規雇用で生計を立てている低所得者の割合は70%〜75%にもなります。


そんな中、うちは養育費は貰っていたので
有り難かったけど
わたしの働き方は非正規雇用でもちろんボーナスもなし。
雇用保険もなく保証もない状態。
細くて切れそうなロープの綱渡りをずっとしてる状態。
毎年の物価の高騰がダイレクトに響く家庭の
うちのひとつでした。
¥80の納豆にたくあんとご飯、は歴とした食事。
味噌は手作り。お金も節約できるし、健康食品だから。
野菜は旬の野菜しか買わない。
肉は、鶏肉。牛肉は高いから買わないしそもそも買うという選択肢もない。
今思えば、飽食ではなかったから健康でいられた、とわかります。皮肉ですが。

日本で
貧富の差が開くのは、色々な原因があると想定されますがそのうちのひとつに
無意識に洗脳された女性の役割分担が多いから。
があると思います。


男女平等といったところで男と女は身体の機能が元々違うのだから、同列に並べることそのものが間違っているのだけど。


男性には男性にしかできない役割りがあり
女性もまた然り。
違う役割をお互いに尊重できれば
本当の平等になりますが
同列に並べば、どちらかが欠陥として扱われる。


今のような男性優位社会で女性が生き残るには、
あらゆる「犠牲」を払わなくては
男性と肩を並べることなんて不可能です。

子供がいれば犠牲になるのは子供。
自分で決めて生んだはずなのに
選択権がない子供をその犠牲者にするなんて
馬鹿げた話。

わたしは体育会系の美容師という職業だったから
尚更思うのかもしれないけど
女性は男性の「欠陥」だと思う場面が多々ありましたね。だけど、わたしは欠陥品ではありません。
ネジが外れていることはあっても。

最初に書いた通り
離婚したくて結婚するひとはいません。
わたしにもそれが現実になるとは思いもしなかったけど、実際に離婚してどうだったのか?


想像通り経済的には辛い状況。住まいも賃貸だから
毎月、限られたお給料の中から家賃を支払わなければならない。光熱費に携帯代、国保に食費。

恥ずかしい話かもしれないけど
ガスや水道や電気、携帯が止まったことが
一度ではなく何度もありました。
そう聞くと、子供が可哀想だ!子育て放棄だと非難されるしれないけど、それが母子家庭、低所得者の現実です。少なくともわたしたち親子にはね。



それはそうと、貧乏とは別に娘とわたしは半分楽しんでいたのも事実。
電気が点かない夜はキャンドルナイトをして
早めに寝ました。
食費をあと五百円で5日過ごさなきゃならないときには粘土遊びみたいに小麦粉と強力粉と水でうどんを作ったり。ピザをこねたり。


わたしは可哀想な身の上話をしたいのではないです。誰かのせいとか何かのせいにしたいのでもない。
お金はなかったけど、不思議と不幸ではなかった。
むしろ、楽しかったんだと後から気づいたんです。
一見すると長くて遠く感じる10年だけど
今思えば、楽しく豊かな時間でした。


2度と体験することはないことです。
戻りたくても戻れない。


8年前に始めた築古賃貸アパートで娘との二人暮らし。
形上、国家資格はあるものの、美容師の平均所得は、一般的な会社員に比べて低いです。
当然これまでの働き方では
生活と育児の両立ができないことも分かってました。
サービス業は、土日、祝日、年末年始が稼ぎ時。
土日も娘と過ごせる美容師なんてないと
思っていたけどあったんです。
しかも、普通のサロンよりも少しだけ時給が高い。

それが安売りサロン。全国にチェーン展開している千円カットです。


とはいえ
若い頃には美容師になりたくてわざわざ田舎から出たわたし。東京に暮らして15年経ち
都会にも馴染み、仕事にも慣れた。
もちろん千円カットの美容師になりたくて美容師になったわけではない。そういうひともいるのかもしれないけど、わたしは都内のヘアサロンで働く美容師になりたくて実際に子供を産む前も10年スタイリストとして働いていました。


東京という大都市に集まる美容師の大半は田舎者。
何者かになりたくて
田舎から上京した、我が強く個性溢れる人間たち。
そんな、あらゆる土地出身の人間との出会いも楽しかった。

だからこそ、まさか自分が千円カットの美容師
(床屋)、しかもバリカンを使っておじさまの刈り上げや身だしなみを整える仕事をするなんて
世界が破滅するくらいの勢い。失礼な話ですが。
だけど離婚をしてひとりで子供を育てなきゃならないわたしにはそんな選択肢はなく
プライドがどうのこうのなんか言っている余裕はなかった。


安売りサロンに勤めて6年。
慣れなかったバリカンも使えるようになり
男性社員に紛れて会社員に徹するも、ついに限界がきて身体を壊してやめることになりました。
身体に嘘はつけないことも体験して。
家計は更に深刻な状態になるのも承知。
でも、これだけは仕方なかった。

わたしは男性にはなれなかった。
今思うのは、なる必要もないし当たり前なんですけどね。

そんな中、追い討ちをかけるように
これまでほとんど連絡はとることがなかった元配偶者から
「妻に病気が見つかったので、養育費が支払えない」と連絡が。

これまでも、度々、養育費の減額の申し入れがある度に、こっちも必死で働いても生活に余裕がある暮らしではないから

芸能人みたいに
「はい、わかりました。では結構です。」と言えるわけでもない。
連絡がくる度に、イライラしていました。


だけど今回は不思議と
あ、もういーや。今がどうであれ、
わたしのイライラは今、これでおしまいにしよう、と思えたんです。



ただでさえ苦しいのにこれからわたしと娘がどうなっていくかわからないけど
養育費がなくたってどうにか生きられるだろうという保証のない希望がありました。

なんと言われても、
誰にどう、思われようが
いまわたしは幸せだわと。

娘も、なんだかんだで毎日笑ってるしね。




お金はないけど
ご飯を美味しく食べることができて
好きな場所に住めて
誰からの制限もなく縛りもない。
何より健康だし笑うことができて
わたしも娘も精神的にも肉体的にも元気。

散々貧乏を体験してきて
お金はなくても、不幸ではないという自信が
芽生えていたことに気づきました。


それにひとつのパイプが塞がったからといって
わたしにとってそれはさほど大した事ではない。
相手の健康も考える余裕?
心臓に毛が生えるというのか。


心臓に毛なんて生える訳ないけどね。
わたしは生えてる気がします。笑


人はみんな生きているだけでなんらかの悩みを抱えています。となりのあの人も、時々会う顔見知りさんも。


お金のあるなしではなく、例えお金がたくさんあっても幸せを感じられないひともいます。
全部自分がどう思うか?だけ。


今回初めて、娘に養育費のことを相談してみたんですよ。彼女がどういう考えかなぁって知りたかったのもあるしね。


父親は、今後、あなたの養育費が支払えないと言ってること。
娘はそれに対してどんな返答をするのだろう。と
興味がありました。


娘はさほど迷う訳でもなく、
彼に自分の本心をメールで伝え始めたたんです。

「わたしは、あなたやあなたの今の家族に不幸になってほしいと思っていません。今まで養育費を支払ってくれた8年間お疲れ様でした。
あなたから頂いていた養育費は母から聞いていたし毎月大切に使わせていただいていました。だけど
もう大丈夫です。
わたしは16歳になり社会勉強も兼ねてアルバイトを始めました。ですのでこれからは今の家族のために
お金を使ってください。」


と。
娘のした決断は、正しいとか間違いとかではなく
今の彼女の心の奥からきた答えなんだと思いました。思わず泣きました。


父親がいないという現実の中、
彼女は自分の本心がわからなくなったり
自己嫌悪に陥ったり自暴自棄になったり
人間不信になったりしたこともありました。
「なんのために生きてるのかわからない、
人間がただ、憎い」と。
そう言う彼女も確かに知っていたし
情緒が不安定だった頃も間近で見てきました。


元配偶者からの久しぶりのメールには
彼女のことを忘れたことはないことや
幼かった頃に一緒に過ごす時間を作らなかったことへの後悔と謝罪が書いてありました。
そして、会わない間に別人のように成長した彼女からのメッセージにも驚いた様子でした。
娘も、久しぶりにやりとりをして嬉しそうな表情。

わたしにも
「話し合いをしてくれたんですね。
ほんとに感謝しています」
とメッセージがありましたが
わたしは今回何もしていません。娘に任せただけ。


約束した養育費を支払わないなんて
わたしには許せなかったので
これまで娘を守らなきゃ、という思いで
やってきた。
今回は娘が決めたこと。

彼女が幼少期から思春期という
ひとの成長過程の中で最も大きく変化する時期に
人より経済的にも精神的にも苦労をしたのは間違いがありません。


自分で選択して
決断し、行動した結果を受け取る。
一見なんてことのないこうした事実から
人が自立する瞬間を見て
わたしも、これまでの長いトンネルをやっと抜けたことを感じました。

貧乏は正義なんて絶対に言いません。
だけど、貧乏イコール不幸ではないよ。

楽しい未来を想像することは
貧乏でも、貧乏じゃなくても
誰にでも、今すぐできること。


どうしたい?で全ての現実は創られます。
50歳間近の子育て終わりそうな今。
私が思うのは子供の今も、自分の今も
常に今しかないんだと胸がキュンと掴まれること。


ここまでお読みくださりありがとうございます。


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