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ヒビ

「土鍋ってさ、ぶつけちゃってかけちゃったところからヒビがうっすら入ったりするじゃない。あれ、牛乳入れて煮ると直るらしいんだよ。」

「へぇー、なにそれ、カルシウムが骨を作る的な何かかな。」

そんな話をしたことがあったっけ。

ワタシもたくさん牛乳を飲んだら、塞がるかな、キズ。

数日前に小さな事故にあった。かすり傷程度だと思っていたし、徐々に治るだろうと思っていたのに、傷口から滲んでいた赤いのが日に日に大きくなってきている。どうしたのだろう。ハイドロコロイドでなおるのかな。だいぶ大きめのが必要だな。


「ごめん。無意識だったんだ。ほんと、ごめん。」


潜在的に刷り込まれた情報というのは、情報的重要度が高ければ高いほど自己制御をよそに表出してしまうものなのだろう。それはきっと、ワタシという情報が彼にとってはとりわけ重要ではないという意味なのだ。後に取り繕うようにワタシの重要さは主張されてはいたけれど、この事実があたかも地球に降り注いだ隕石のようにワタシのココロに落下して起こした衝撃によってできたヒビは大きすぎて、どうやら牛乳のそれでは塞ぎきれないようだ。


「俺が「好き」といっても、もう塞がらないのかな」


ほんとうかな。

ほんとうにワタシが好きなのかな。ほんとうにここにできたヒビを塞ぐ気があるのかな。今までの何倍もの、指数関数的に増大するようなワタシへの気持ちを注がない限り、牛乳が土鍋のヒビをそのカルシウムで埋めるようには、ならなさそうだよ。だって、ハイドロコロイドの隙間から赤い雫が滴り落ちているんだもの。

躊躇って放せなかったロープが静かにゆっくりと手から離れようとしている。放したくない。放れてほしくない。
本当は悲しくて淋しくて自分の涙にまで溺れてしまいそうなのに、結局、彼にはワタシが届くことはないし、彼の手がワタシに届くこともないのかもしれない。

だって、彼には、比べ物にならないほどにもっともっと大切なものがあるのだから。

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