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兵働選手引退

J1リーグ清水エスパルスで長年ライターをさせていただき、トップチームを取材しています。毎シーズンチームを去る選手へ感謝の気持ちを込めてメッセージを書いています。昨年まではブログでしたが、今年はここで。

今シーズンを限りに引退をした兵働昭弘選手。エスパルスに加入したのは2005シーズン。残留要請をしていた石崎監督が退任し、コーチのオファーをしていたエスパルスのOBでもある長谷川健太氏(現FC東京)に監督としてオファーしなおしたシーズンでした。

このタイミングでまだ長谷川氏の指導者としてのキャリアは浜松大学監督のみ。だがエスパルスのピンチで逃げる訳にはいかないと火中の栗を拾うかのごとく受けてくださいました。この時新加入選手の獲得に動いてたのが先日お亡くなりになった久米一正氏でした。

2005年に新卒新加入したのは、兵働選手を筆頭に、岡崎選手、枝村選手、平岡選手、青山選手、岩下選手でした。彼らがのちにエスパルスの中心選手として活躍したのは言うまでもありません。

1年目で15試合に出場し、翌2006年これからという時に兵働選手は病気に襲われます。最初は病名がなかなか特定できず離脱。後に甲状腺の病気とわかり、一時は投薬でコントロールし、2007年は31試合に出場。大きく存在感を示したにも関わらず、2008年に再発し、手術を余儀なくされました。これに関しては現場にいた取材者も怪我でないために根掘り葉掘り聞くわけにもいかず、オフィシャル雑誌の引退インタビューで少しだけ当時のことをお話してくださいましたので、そちらをご覧ください。三浦泰年氏が病名が公表されてすぐ、僕も同じ病気だからサポートがしたいとすぐに動いてくださったのを今でも鮮明に覚えています。

スポーツに「たられば」はありません。しかし、大学を卒業してプロ入している兵働選手がどれほど1年どころか1日、1日を大事に、即戦力としてチームに貢献したいと頑張っていたかを想像すると、辛い経験であることは疑いようのないことです。それでも病気を克服し2009年エスパルスのキャプテンに就任。名実ともにチームの大黒柱になりました。

エスパルスの歴代キャプテンは以下

[1992年]  三浦泰年
[1993年]  三浦泰年
[1994年]  三浦泰年
[1995年]  長谷川健太
[1996年]  澤登正朗
[1997年]  澤登正朗
[1998年]  澤登正朗
[1999年]  澤登正朗
[2000年]  澤登正朗                          
[2001年]  伊東輝悦
[2002年]  伊東輝悦 (副キャプテン=森岡隆三)
[2003年]  三都主アレサンドロ (副キャプテン=森岡隆三・市川大祐)
[2004年]  森岡隆三
[2005年]  森岡隆三
[2006年]  山西尊裕 (副キャプテン=高木和道)
[2007年]  山西尊裕 (副キャプテン=高木和道・兵働昭弘)
[2008年]  高木和道 (副キャプテン=西部洋平・兵働昭弘)
[2009年]  兵働昭弘 (副キャプテン=児玉新・岡崎慎司)
[2010年]  兵働昭弘 (副キャプテン=児玉新・岩下敬輔)
[2011年]  小野伸二 (副キャプテン=高原直泰・ボスナー)
[2012年]  小野伸二
[2013年]  杉山浩太
[2014年]  杉山浩太 (10月~副キャプテン=本田拓也)
[2015年]  本田拓也 (副キャプテン=長沢駿・大前元紀)
[2016年]  大前元紀 (副キャプテン=西部洋平・犬飼智也)
[2017年]  鄭大世  (副キャプテン=西部洋平・河井陽介・犬飼智也)
[2018年]  竹内涼  (副キャプテン=鄭大世・六反勇治・河井陽介)

しかし、キャプテンとして2年目となった2010年、シーズン終盤を怪我で棒に振った彼は、チームを去る決断をします。長谷川監督の退任。主力や功労者との契約非更新選手が続出する中で、彼は大黒柱としてチームを引っ張っていってくれると思っていただけに衝撃を与えました。当時挨拶もせずに去った理由、このあたりもオフィシャル媒体で理由を聞いています。

それから7年が経ち、2018年兵働選手へ戻ってくるように声をかけたのは、いまは亡き久米副社長でした。帰って来た時、7年前を思い出し、複雑な反応を見せたサポーターさんもいました。彼はそれを承知の上で戻り、エスパルスのために、たとえ試合に出られなくても、ひたむきに、真摯に日々を過ごし、大きな背中を若手選手へ見せてくれました。

サッカーの神様がいたら、どうして兵働選手に意地悪するんだろう?と思う場面が何度もありました。それでも、彼は自分のプロサッカー生活を振り返り幸せだったと言っていました。悔しい現実も、大変な経験も、すべて逃げずに受け止めたから言える言葉だと思います。そして、引退セレモニーが、大変な試合の後にも関わらず、素晴らしいものだったことが、彼のプロ人生は素晴らしいものだったことを証明していました。

ここに、引退セレモニーでのスピーチを起こしましたので載せておきます。

2018年11月24日神戸戦後>>今日もたくさん集まっていただきありがとうございます。怪我人が出たり、激しい試合になってしまいましたが、皆さんの応援が力となり何とか引き分けに持ち込む事ができました。あと1試合残っています。必ず勝って終わりたいと思いますので、長崎戦も応援よろしくお願いします。そしてチーム関係者の皆様、今日はこの場を設けていただき感謝しています。ありがとうございます。私はサッカーを通じてたくさんのことを学び、たくさんの人と出会い、最高の思い出を作ることができました。サッカーに出会わせてくれ、小さい頃から応援、サポートをしてくれた両親と兄に感謝しています。また常に近くで寄り添ってくれ、どんな状況でも共に戦ってくれた家族。本当にありがとうございます。私はたくさんのクラブにお世話になりました。そこで過ごした時間。素晴らしい仲間とプレーしたこと。素敵な出会いや交流。全てが宝物で最高の思い出です。各クラブのスポンサーの皆様、チーム関係者の皆様、チームメイト、ファン、サポーター、友達、本当ににありがとうございました。7年間在籍したエスパルスで引退をすることができ、本当に幸せです。自分の意思でチームを離れて、今年戻してくれたチーム関係者の皆様、感謝しています。特に久米さん。あなたの力、存在が大きかったです。本当にありがとうございました。プロの基盤をこのクラブで作らせてもらったから、ここまで長くプレーすることができました。今年、戻って来て、素晴らしいスタッフと最高の仲間達と仕事ができ、特別な1年になりました。このスタジアムで戦う雰囲気、景色が大好きです。皆さんの応援、自分のチャントが大好きです。勝ちロコが大好きです。そして皆さんが大好きです。たくさんの人に出会い、たくさんの人に支えられた現役生活でした。自分の戦いは今年で終わりますが、エスパルスの戦いは来年も続きます。皆さんのチカラが必要です。さらなるエスパルスの発展。サッカー界の発展を期待しています。そして皆さんの今後の幸せを願っています。14年間、ありがとうございました。

本当は代表で活躍する姿を見たかった。がっかりさせないエスパルスでいることで、ずっとエスパルスにいてほしかった。けれど、戻って来た兵働選手は、在籍していた時よりもずっと素敵になっていたから、これでよかったんだと思いました。本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。




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