見出し画像

【397/1096】「いつのまにか」を期待しない

397日目。今日は一日呼吸・整体の勉強会。「あー、それは前にも先生が言っていた」ということをなくしたい。なくしたい。なくしたい。とぶつぶつ言いながら帰宅。


目的や目標を明確にしないというのは、逃げを打っているからだと自覚してから、小さくてもよいから目標を立てることを課している。

目的や目標を明確にしないメリットは、達成しなくてもがっかりしないというのがある。
なんとなく始めて、なんとなくやって、なんとなくいい感じになった、みたいなので満足であればいいのだが、だいたいそれで満足にならない。

目標を抽象的にしてふわっとさせるというのも、逃げを打っている。
ふわっとさせとけば、なんとなくで済むからである。
達成できたかできなかったかもわからないし。
関係ないけど、「心豊かな明るい子」という教育目標はどうやって達成したかを測るのか?甚だ疑問だ。
そういうふわっとした目標は、絵に描いた餅であるので、飾っているだけになってしまう。

そう考えると、どれだけ私は逃げることに人一倍エネルギーを使ってきたのか!と思う。
できないということを認めないために、逃げるエネルギーは相当使ってきたのであるが、そのエネルギー、できるためにかけたらよかったんじゃ・・・と思うのである。

というわけで、今まで無駄にした分、残りの人生はより建設的なこと、健康的なことにエネルギーを使っていきたいと考えた。

とりあえず、壮大な目標を立てて、立派にやり遂げるとかでなくてよいので、小さな目標でもいいから、達成するまでやると決める。
この時の目標はふわっとしてものにしない。
例えば「自分らしく生きる」とか「自分軸で生きる」とか、どうやって達成したか明確にできないので、目標としてふさわしくない。
それを思っているのは自由だけど、目標は違うものにする。
(ちなみに、測れないものは、「いつのまにかそうなってた」と達成?したら思うものなのかもしれない。)

目標は、なにを基準にどう測るのか?を明確にできるものにする。
そして、達成するためにがんばるのを、悪いことのように思うのをやめる。
やりたくないことをやるわけではなく、やりたくてやっているのだから、何も遠慮をすることはない!
しかも、誰に遠慮しているのかもよくわからない。。。

そう思ってから、小さな目標を立てて、それに向かって取り組んでみて、やってみてダメならやり方を変えるということをやってみている。
まだまだ、目標の立て方が甘かったりしているのだが、その場合は目標自体を変える。
ついでに、目標を立てて安心しない。(←私的あるある)

目標も持たずに「いつのまにか、できている」を待っていると、あっという間におばあちゃんである。
一歩でも二歩でも前に進むためには、自分の足で歩かなくてはね。

では、またね。




1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!