見出し画像

【848/1096】弱気の自分をうけいれる

今のままの自分では、誰にも受け入れられない。
心の中にこれがあると、自分で自分を受け入れることができない。
みんなが自分を嫌っていると思う。
実際には自分の心にある嫌悪感を他人に投影しているだけで、他人はこちらを嫌悪したりしていない。
けれども、嫌悪感を抑圧すると、相手にそれを感じてしまう。
自分を嫌っている他人に受け入れてもらうためには、自分は完璧でないとならない。弱点があったら攻撃されるから。
だから自分に弱点があったら、自分は受け入れられないと感じるのである。

そういう人は、常に不安と隣り合わせになる。
人間に弱点がなくなることはない。弱点とは視点により変わるし、弱いところも失敗することもあるのが人間である。
けれども、それがある自分はダメだ、と思っているのであるから、常に不安。
不安だと、物事に対して逃げ腰になる。
つらい思いをしたくない。
向き合いたくない。
立ち向かうのではなくて、いかに容易にできるかばかりを考える。
残念なことに本人はそれが逃げだとは思っていない。
そのことを、一生懸命考えていると思っている。
「うまくいかなかったらどうしよう」と一生懸命考えているのである。
つまり、自分がつらい思いをするのがいやで逃げている。
自分がつらい思いをしないように、なるべく楽にしていられるように、自分を大切にするあまり、不安になって臆病になるのである。そして、そういうとき、本人は「自分を大切にしている」とは思っていない。他人のことばかり考えていると思っているので。

立ち向かって、それをやり遂げようとする意志を持って取り組む人は、うまくいかなかったらどうしようとは考えない。
うまくいくためにどうするかを考える。
例えばそれが仕事だとして、その仕事がうまくいかなかったらどうしようと考えている中に「自分がどう評価されるか」に注意が行っている人は不安になって、疲れてしまう。
自分がどう評価されるかではなくて、その仕事自体をやり遂げようとすることが分かっている人は、そのようなことを考えないのでそれほど不安が強くならない。
不安が強くなっていくのは、自分を他人がどう評価するか?
相手にどう思われるか?を気にするからである。

他者の役に立ちたいと思うのは、よいことである。
けれども、他者の役に立つということで自分の価値を維持しようとするとおかしくなる。
他者の役に立たない自分は無価値だとなるから。
他者の役に立つことが自分の喜びだと言う人と、自分の価値を認めてもらうためにする人とでは、同じ「役に立ちたい」でも雲泥の差となる。

人から認められたい、愛されたいと自分を偽りつづけると、自分に意味を感じなくなり、無力感に苛まれる。
つらい思いをしながら、自分を偽り続けて人の愛を求め、しかし結局のところ、偽っている自分を愛されても傷つくだけで、屈辱を感じるだけなのである。
そして愛が得られなくて不安におちいる。その繰り返しで人生が終わる。

そこから抜け出すには、自分の本心に正直になることである。
自分が本当に思っていることは、道徳的にはありえないことであるかもしれないが、それを思うのは自由だから。
内心の自由は、憲法でも保障されているではないか。

自分の本心がよくわからなくなってしまっているときは、誰かに話を聴いてもらうのもいいし、自分が思っていることをノートに書いてみて、それを読み直してみるというのもよい。強気だろうが弱気だろうが、自分と言うのはこんなことを想っているのだと知ることから、まず始まる。
弱気で、弱点だらけの自分も「まあ、そうだよな」と受け入れられるようになると、実際の相手が観れるようになってくる。
自分が何が好きで、何を楽しいと思っているのかを見つけるというのがとても大事だ。
自分で自分を満たす方法を知っているということが、人生を豊かにする。

自分の本心を知りたい方は、個人セッションでサポートしてます。

自分はこんなことを思っていたのかと気づいて、それをどう生かすかを一緒に考えることができますので、どうぞ。

では、また。

1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!