え?今ごろ?な話

友人と正月に義理の実家に帰省した時の話をしていた。
義弟のお嫁さんと、初めてまともに交流できたことが嬉しかったので、
その話をシェアしていて、
「え?それも、今ごろ知ったんだ?」
と聞かれて、ほんと、そのとおりだなーと思った。

義弟が結婚して、たぶん、もう5年くらい経つと思う。
結婚式にはもちろん出たし、毎年、だいたい同じ日に帰省しているから、
顔も合わせてたし、話もしていた。
だけど、なんか、わたしが閉じていたので(としか言いようがないのだけど)、ぜんぜん交流しようともしてなかったんだなーと思う。
義理の実家っていうだけでも、
わたしがいろいろとらわれていて。
嫁としてとか、
しかも長男の、とか、
田舎は長男の扱いが違う、とか
まあ、いろいろ。
そして、何しろ、100年くらい建ってる家で、
あちこち壊れているし、
外と同じくらい寒い!みたいな感じだし
(都会のマンション暮らししかしてないひ弱っこなもので・・・)
この家は、完全にアウェーだという感じだったのだ。

アウェーで1人闘っていて(つもり)、
さらに、子どもが生まれて連れて行くことになってからは、
この子らも守らなければ!みたいなガルガルも加わり(いったい何から守るのか・・・)。
だけど、この家の中ではまったく何をどうしていいかわからない・・・みたいな使えなさで、
時間が過ぎるのを待っていた感じだった。

義父母に意地悪なことされるとか、
嫌味を言われるとか、
そういうのは一切なくて、
まったく何も手伝わずにただ座ってご飯を食べて
布団も敷いてあってそこに寝るだけ
というお客様待遇なのだけど、
なんでか、余計な気遣いばかりしてしまっていたんだよねえ。

しかし、今年は、そういう気遣いはもうまったく持ち合わせず。
「わたしのまんまで、今ここで楽しむ」
が年末年始のテーマで、
それを意図していたので、
義実家だろうがどこだろうが、
わたしでいればいいな、という感じでいたら、
義理の弟のお嫁さんと、いい感じで交流ができた。

話も面白かったし、
今まで知らなかった面も知れたし。
とにかく楽しかったし、話しているといろいろ発見があった。

彼女はわたしと真逆なタイプで、
いつもゆったりしていて、イラついているところをみたことがなく、
だいたいニコニコしている。
ちゃかちゃかしたところがない。
彼女の子ども(わたしには甥っ子)が2歳でやんちゃ盛りだったけど、
注意するときも、ぜんぜんイラっとしたり、焦ったりしない。
いつもそんな感じなんだろうなーと思う。
そうやって話をしてみたら、
彼女の言葉には、まったく人を咎めるような感じがないんだなと気づいた。

たとえば、人はイラっとしたり、
傷つくことから防御しようというしたりするとき、
(それは大抵無意識にだけど)
人を咎めるようなエネルギーが込められる言葉が発せられる。
自分は悪くない、というような。
子どもを注意する時とか、
「わたしは注意してますよ」っていうアピールで言ったりすることがある。
わたしは本心ではこんなこと言いたくないけど、人の手前、なんて言われるかわからないから言っておく、みたいなやつ。
そういうのが彼女にはいっさいないなーと氣づいた。

彼女も義理の実家で、気遣いを見せて働くというようなことは
まったくしないけど、平然と悠然としている。
偉そうとか、気遣いができないとか、
そういうことではなくて。
それが自然な感じ。
(代わりに?義弟は非常にこまめに動いているけど、それも無理がない。)
彼女は自然体なんだな〜。
わたしも今年は、自分の自然でいられたから、
今までとは違う交流が起きたのかも知れない。
そう思うと、これからけっこう楽しみだな。

ちなみに、友人に、「え?今ごろ?」と言われたのは、
彼女とわたしの干支が同じだった、という話を聞いたのが
今年初めてだった、というもの(笑)
結婚式で言うような気がするので、
今までどれだけ関心持ってなかったのか!と自分にツッコミしたくなった。

長いこと一緒にいたり、
今までの知り合いだったりしても、
え?今ごろ?と思うようなことを
知らなかったりするかも知れない。
そういう発見があるのは、なんかいいなと思った。

変わるのは自分から、というのは、
ほんとうにその通りだと思う。
いつでも、いつからでも、
どこからでも始められるのだ。
自分さえ、しっかり自分でいられれば。

自分の人生のハンドルをしっかり握りしめて、
運転していこう。


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