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なぜ、書くのか?

本の出版プロジェクトに書き手として、参加している。
参加したきっかけは、友人がTwitterでつぶやいた言葉に反応したからで、あれよあれよという間に「自分たちの手で、10代に向けた本を書いて出版しよう」という話にまとまり、プロジェクトがはじまった。
3月に公開編集会議をやって、本をつくることを宣言したら、たくさんの方が応援してくださって、びっくりした。
これから本当に書くんだなぁ、とちょっと他人事のように観ていた。

プロジェクトの仲間たちとは、定期的に会って、出版プロジェクトについての話をしていて、私がなぜ書きたいか?ということについて聞いてもらったり、聞かせてもらったりしている。
メンバーそれぞれに、それぞれの想いがある。
それをひとつの形にまとめる、というよりは、こうしなければいけない!という縛りなしに、そんなふうに本を作れるのかはわからないけど、ひとまずやってみよう!という感じで進んでいる。

私がなぜ、書きたいか?ということについて、考えた。

文章を書くのは、幼い頃から好きで、大事にしてきた。
口に出せない想いを、本音を、ノートに書いていた。
10代の頃に書き溜めていたノートには、詩や歌詞や、宛先のない手紙形式の便りなどが創作していて、私にとってのアートだったなぁと思う。
(残念ながら、今はもうない。)
自分の表現方法として、書くというのは欠かせない方法だった。

このプロジェクトの仮のタイトルは「社会の使い方」という。
私たちが生きてきたうえで、経験として体得したけれど、これをもっと若い時に知っていたら、とか、この知見を知っている人が増えたらもう少し生きやすくなるのに、とか、そういうことがいくつもあるね、という話があり、自分の子どもにはこれを手渡したいよね、という流れがあった。
自分の子どもだけでなくて、子どもの友だちやその子たちの親たちにも手渡せたらいいね、と本という形にすることになった。

自分の子どもに、自分と同じようなつらいめにあって欲しくはない。
でも、それはどうなるかはわからない。もしも、そんなことがあったら、こんな方法もあるよ、と伝えておきたい。
そんな想いだ。

私は、マインドフルネスと性教育について書くことにした。

書くとは言ったけど、マインドフルネス、というのは、ちょっとぼんやりしている。
私なりの言葉でいうと、自分の真ん中にいること。自分の魂と繋がっていること。今ここに集中していること、というようなことかなと思う。
呼吸がととのっている状態。自分で自分に気づいている。
私もまだ探究中で、先は長そうだけど、そのように生きる、という生き方そのもの。
終わりもなく、正解も無いもの。

性教育については、性暴力や子どもの性被害について学ぶ中で、自分の中で立体化してきたものを言葉にしてみたい、ということがある。
私はこれに関して、保健の先生でも、助産師でもないし、職業としての名前は持っていないけれど、この課題に四半世紀以上取り組んできていて、自分では当たり前のように持っている知見や知識が、社会ではまだまだそのように認知されていないということがあるなあと思っている。
そこをうまく言語化してみたい、という望み。


うまく上手に伝えたい、というよりは、自分が恐れていて、なかなかうまく出せなかった柔らかくて瑞々しいところから、取り出して書いてみたい。

自分の子どもたちに書き残しておきたいことを書くのと同時に、
どうしようもなく不器用で、孤独で、本だけがこころのよりどころだった10代の頃の私に届けたくて、書くのだと思っている。
そして、それがいまの、もしくはもっと未来の10代の子たちや昔、10代だった大人たちにも届いたらいいなとも願っている。

はてさて、どのようなものが書き上がるやら。

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