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【139/1096】人に変わってほしい時は、自分が変わる時

139日目。今日は朝から目まぐるしく、くるくると回っている間にもう夜・・・みたいな日でした。そして、寒い・・・


変えられないのは過去と他人で、変えられるのは自分と未来


変えられないのは過去と他人で、変えられるのは自分と未来だけ。
とよく聞くけれども、
「自分を変えました」という人はあまりいなくて(変えたとわざわざあまり言わないからだと思う)、「人に変わってほしい」という人は多い。

うちの子どもが、イヤなことをしてきたお友だちと喧嘩したときに言うことばは決まって
「自分は悪いこと何にもしていないのに、相手が〇〇してきた」
「相手に〇〇してほしい」
というものだ。
うちの子はまだ、9歳と7歳なので、もちろんこれを全面承認する。
そうかそうか、と話を聴いて、十分受け止めてからでないと
「ボク(わたし)が〇〇したから、相手はこう思ったのかな?
次はボクが〇〇〇してみようかな」
と自分が変わってみようという気が起きないようだ。
たぶん、人の成長発達にはこのような過程が必要なのかもしれない。

が、今、すでに大人になっているひとたちには、この過程はほとんどなかった人が多いだろう。
わたしが小学生の頃は、
「自分は悪いこと何にもしていないのに、相手が〇〇してきた」
と言った途端に、
「言い訳するんじゃない!」
「何にもしてないのに相手がそんなことしてくるわけないだろう!」
と怒られた。
自分のしたことを棚に上げて、相手のせいにする私が、どんなに悪いやつかということについて、滾々と説教されたものだ。
学校でも家でも、説教にそう大差はなかったので、大半の人はそんな感じの説教をくらってきたのではないだろうか?
多かれ少なかれ。
当時は、大人に逆らうことはできなかったので、不服ながらも、怒られる時間を短くしたくて、反抗せずに我慢した。言い返したら、倍返しだったからである。
そして、その過去はもう変えられない。

「私は悪くない」では変われない

その結果、成長した自分がどうなったかというと、被害者になった。
実際、被害と呼んでよいような目にも遭ってはいるのであるが、常に被害者ポジションで、やられては嘆く、嘆いてはやられるというパターンをまわしてしまっていた。
けっこうぼろぼろになってから、支援者の人たちに
「あなたは悪くない。加害をした人が悪いし、責任をとる必要がある」
と言われて、「ああ、わたしは悪くないんだ」とようやくホッとした。
やっぱり私は悪くないんだ!と。

たしかに、私は加害者ではなかったが、自分の責任を自分で引き受けてもいなかった。
そして、加害者が変わってくれることばかりを望んだ。
それこそが正しいことだ!と思っていた。
だって、私は悪くないのだ。
しかし、「私は悪くない」のまま止まると、けっきょく同じようなことがまた始まる。
同じ場所にいて、言うことやることだけ変えたとしても、ただ横にスライディングしているだけである。
「私は悪くない」のままではいられなかった。
わたしは変わる必要があったのだ。

自分が変わること


相手に変わってもらいたいのであれば、「変わる」必要があるのは自分である。
そう思うときが変わるチャンスだ。
しかし、人に変わってほしいというのは簡単だが、自分が変わるのは大変である。
(自分が変わりたくないから人に変わってほしいわけだけどもね・・・そういう時は、そこにも気づいていないけれどもね。)
自分が変わるためには、自分に正直に向き合わなければならないから。
自分に正直に向き合うためには、胆力がいる。
なにせ見たくない自分がうじゃうじゃいるわけなので。

胆力とは動じない心だというのだが、私は、動じない心と言うのはないと思う。
心は常に動じるもので、心で動じたものを、身体に反映させないということが胆力であり、上虚下実の状態である。
上虚下実とは、上半身の余分な力みが抜けて、丹田に象徴される下半身に力が充実している状態で、執着を手放し、人間が本来持っている力を発揮できるようになることだ。

身体は正直なので、身体に聴く


私の体感による実感だと、心で動じたものを身体に反映させないためには、上虚下実の状態である必要がある。
肩に力が入っていたり、凝り固まっていたり、上腹部が硬くなっていたり、腰痛がしていたりする場合には、身体に反映させないということがうまくできない。
心が動じているかどうかは、ウソをつくことが可能であるが、身体は正直なのでウソがつけない。
自分に正直に向き合うとき、心はウソがつけるが、身体はウソがつけない。
変わったかどうか?は身体が教えてくれる。

わたし、変わったなー!と心ですっきり思っていたとしても、なんだかまた同じようなことが起きている・・・ということがよくあった。
身体に聴くと、そのごまかしがなくなる。
そして、変わることができることを教えてくれる。

そういうわけで、私は、身体をおろそかにしすぎていた過去を反省して、今は身体の声を無視することなく、ともにいることにしている。
自分が変化し続けていることは、身体が教えてくれるし、変わっていないところも身体が教えてくれる。
そして、身体だけではなくて、やはり心も変わっている。
身体と心は一致している。

人に変わってほしいと思うときは、自分が変わるチャンスだ。

では、またね。






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