【454/1096】変わること
自分がまだ若くて瑞々しい感性を持て余していた頃に、大人たちが言っていたことが、30年経ってわかるということがある。
30年前には、そんなことは自分の身には起こらないと思っていた。この大人たちは、怠惰か感性がもともとなくてそうなっているのだ、そうでない大人もいるはずだと思っていたからだ。
しかし、自分がなってみると、これはやっぱり変化していくからなのだろうと思う。
そう思いたいだけかもしれない。
若いアイドルの子たちの顔の区別がだんだんつかなくなってきた。
乃木坂だか櫻坂だかわからない。
キンプリも、なにわ男子もグループ名はわかるけど、、、みたいな感じだ。
いやもちろん、本気で個人を識別しようと思えばできる。
できるけど、別にしないでも大丈夫というか。
これでは、光GENJIとV6の区別がつかないと言っていた大人たちと同じではないか!とあの頃の大人たちの気持ちがすごくよくわかる。
渋谷駅で彼らのパネルが張ってある場所に可愛い格好をして写真を撮りに来ている10代女子をほほえましく思う。
もうそこに、自分が参戦するのは終わった。
かっこいいかどうか、ちょっと区別がつかない。
いや、もちろん顔立ちがととのってるのはわかるけれども。
このように変わっていくものをとめることはできないんだなあと思う。
今年、帰省したら、義母の耳が明らかに聞こえなくなっていて、年を取って変わるということは止めようがないなと思った。
そういうとき、呼びかけても振り向いてもらえないということに、さみしさを感じると怒りが湧いたり、なんとかしたいとコントロールしたくなるかもしれない。
でも、ただ聞こえないだけだと思えば、湧いてくるものが変わる。
若者の区別がつかないのも、あの頃の感性を失ったからだと思えば切なく、さみしいかもしれない。
でもあの頃の感性と今の感性は違うだけだと思えば、特に何の感慨もない。
生きていれば必ず変わる。
変わるものを受け入れることがどれだけできるかが、大事だ。
では、またね。