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【映画鑑賞記録】プリズン・サークル

「プリズン・サークル」を観た。
あらゆる人に観てもらいたいが、特に対人支援やってる人は、必見だと思う。人との関わりが、いかに人を癒すか。感情を麻痺させて生きてきた人が、いかに再生するかをこの映画は見せてくれる。
友達が誘ってくれて、一緒に観にいけて、観た後に対話できた。対話できる友達がいたことを本当にありがたく思う。
このように丁寧に、真摯に、なるべく公平に、バランスを保ちながら、映画を撮ってくれた坂上香監督にも感謝が湧いた。

映画に出てくる彼らは、犯罪をおかして刑が確定し服役している受刑者たちである。TCを取り入れている刑務所で、対話を通して自分の加害に向き合っていく。TCについては下記参照。

TC(セラピューティック・コミュニティ)
Therapeutic Communityの略。「治療共同体」と訳されることが多いが、日本語の「治療」は、医療的かつ固定した役割(医者―患者、治療者―被治療者)の印象が強いため、映画では「回復共同体」の訳語を当てたり、そのままTCと呼んだりしている。英国の精神病院で始まり、1960年代以降、米国や欧州各地に広まった。TCでは、依存症などの問題を症状と捉え、問題を抱える当事者を治療の主体とする。コミュニティ(共同体)が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけること(ハビリテーション)によって、人間的成長を促す場とアプローチ。

このTCによるアプローチを行なっている刑務所は島根にある「島根あさひ社会復帰促進センター」であり、日本では唯一TCが受けられる刑務所だそうだ。映画の公式サイトの紹介には以下のようにある。

「島根あさひ社会復帰促進センター」は、官民協働の新しい刑務所。警備や職業訓練などを民間が担い、ドアの施錠や食事の搬送は自動化され、ICタグとCCTVカメラが受刑者を監視する。しかし、その真の新しさは、受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している点にある。なぜ自分は今ここにいるのか、いかにして償うのか? 彼らが向き合うのは、犯した罪だけではない。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していく…。

彼らがサークルで語る、「自分のこと」
家族、いじめ、虐待、差別。自分の犯行や犯罪について。何を感じたか?をまったくわからなかったり、自分の罪のいったい何が悪いのか?がまったく理解できなかったりする。そのことも、正直に話して良い場であることが、彼らに尊厳を取り戻させるのだと思った。安全で安心。罵倒されたり、殴られたりすることなく、話せる場。今まで誰も、聞いてくれる事のなかった彼らの言葉を、服役中の受刑者たちと、支援者が見守る中で語り始める。

映画を観ている中で、彼らの顔にはモザイクがかかっているのに、どんどん表情が豊かになっていくのがわかるのが不思議だった。声や態度、考えも変わっていく。

「機械から生身の人間になった」

と一人の受刑者が言うが、その過程を丹念に追って見せてくれる。
応援される、と言うことがどれほど人に希望を与えるのか。まざまざと、ありありとそのことを見る。なんども涙が頰をつたった。

モザイクがかかり、仮名である彼らから、自分の本音にとことんまで向き合う姿勢を見せつけられる。現実逃避し、逃げて逃げてたどり着いた先が犯罪だった人。やられたからその分やり返した人。お金でしか人とのつながりを保てなくて、お金がなくなると強盗した人。嘘をつくことでしか自分の居場所を作れず、だけど結局どこも自分の帰れる場所はなかったと言う人。

彼らと、わたしのいったい何が違うと言うのか。そればかり思った。
機能不全の家庭で育ち、いじめに遭い、暴力でコントロールされ、支配される。その強烈な暴力に対しての憧憬。あれがあればコントロールすることができる。怖くて痛いのに、わかっていても、防御している手を外してしまうってこと。それを、ただ正直に偽りなく語る彼らと、自分のありようがどれだけ違うのかと思う。
たまたま、法を犯すような犯罪者にならなかっただけだ。紙一重だった。
たまたま学校の勉強は理解できたから、社会のレールには乗った。けれど、乗ったレールから外れないように、自分の感情を麻痺させて、身体を酷使し、倒れるまで働いても、自分に自信も持てず、役に立たない自分は価値がないと思っていた。あの自分と、映画の中にいる彼らと、何が違うだろうか。死にたい、消えたいと思ってた、と言った彼らと、まったく同じことをあの頃のわたしも言っていた。それを言う自分を嫌悪しながらも、そう思っていたことも真実だった。

サークルで対話やワークをしていく中で、今までまったくわからなかった被害者や自分がやったことに関係している人たちの気持ちを理解をしていく。その中で、今まで本当には理解できていなかった、自分の加害について理解する。つぐなうために何ができるか?自分がちゃんと生きることだと思う、と言う言葉があった。それを責める葛藤の自分もいる。相対する自分の葛藤をゲシュタルトセラピーの2つの椅子のワークで紐解いていくシーンは、素晴らしかった。葛藤を正直に出していく中で、それを見守り、ただ一緒にいてくれる人たちがいると言うことがどれだけ生きる力を取り戻すことになるのだろうか。
きれいな死に方をしたい、と言う自分で幸せを感じながら生きることが、もっとも罪悪感を忘れないってことなのだ、と言う答えを自らの内側から導き出した受刑者は、映画の最後に坂上監督に「握手」を求めて良いか聞いていた。握手は、刑務所の規定違反となるため、許可されなかった。(接触は違反)けれど、あの感謝の姿は、本物だったなと思う。

出所者でTCを経験した人たちが出てくるのもすごいと思った。
そして、この市井で生きている人たちは、本当に、自分たちと何にも違いがないと思った。対話を大切に、自分に向き合いながら、仲間と一緒に生きていこうとしている人たち。私たちがしていることと何も変わらないし、むしろ、これをしている人の方がまだ圧倒的に少ないのではないかと思う。

自分の話を正直にする。
他者の本音を聴く。
言葉が出なくなる。
出なくなった言葉を、それでも逃げずに、探り当てていく。
ただ黙って聴いてもらう。
そうしていく中で、
自分の感情を取り戻し、
言葉を取り戻し、
人生を取り戻していく姿を
この映画は見せてくれる。

自分が傷ついていたことを認められてはじめて、自分が傷つけたことを認めることができる。人として尊重されてはじめて、人を尊重することができる。
そのことをこの映画ははっきりと教えてくれる。

TCは、最長2年間と期間が決まっていて、長く受けている人は、ファシリテーターをやるようになる。自分たちで自分たちの対話を作っていく場。(もちろん支援者の人たちはずっとそばにいるわけだが)
このファシリテートも、すごくよくて、こんなファシリテートできる人もなかなかいないよなーと思って、むしろ貴重な存在に思える。高葛藤の人ばかりの場のファシリをやるのはけっこうな重責だが、それを担って彼らは場を進行していく。

日本の受刑者4万人のうち、このTCを受けられる人は、40名

たった0.01%である。
薬物依存なども犯罪として受刑させるより、治療プログラムを受ける方が再犯予防になることがデータでわかってきているが、このTCを受けた受刑者の再入所率は他のユニットと比べて半分以下という調査結果もあり、その効果が期待されているらしい。

厳罰化するだけが、コミュニティを安全にする訳ではないことを、私たちはよくよく理解していく必要があると思った。
つぐなうと言うことは、過去を精算すると言うことではなくて、その過去と共に生きていくと言うことなのだと思った。

ぜひ、多くの人に観てもらいたい映画の一本です。



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