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【65/1096】痛みはいじくらないほうがいい

65日目。今日は久しぶりに晴天。気分が良い。今日はめいっぱいお仕事しました!しかし、夜も続く。その合間に、note書いてる!!えらい!(自画自賛)

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過去に起きた体験から、自分が痛みを抱えていて、その「痛み」から今いる世界を創っている、という心理療法の理論がある。
メンタルモデルとか、コアビリーフとか、イラショナルビリーフとか、その理論によって呼び方は変わるし、手法もいろいろあるのだけれども、自分の無意識の信念のことだと考えている。

たとえば、
「価値がないと愛されない」
という無意識の信念があると、価値を出すために必死に頑張り続けて、頑張っても頑張っても愛された実感が持てず、疲れてしまうけど、そのエンジンを回し続けることをやめられない、みたいな感じのことだ。
幼少期のころの(もしくは過去世の、もしくは世代間の)記憶から創り出されたもので、それに気づかないでいるとずっとそれを回し続けてしまう。
だから、そこにアプローチして、その信念を書き換えるような取り組みをするという感じだ。

わたしも身体をやる前は、こういう取り組みをずっとしてきていた。
これらの手法は、とても良い面もある。たくさんの人が救われているだろうし。
しかし、その時はよくなるのだけど、またそのパターンから抜け出せないということが起きたりする。
というか、わたしはずっとその繰り返しであった。ちょっと違うものがきて、「あ、これまただ・・・」みたいな。
セラピー受けて、何度も泣いて、泣くと浄化されてすっきりはするし、すごく大きなことに気づけて変わった!という気になった。
でも、なかなか変われない、根本のところは変わってない、そんな焦燥感も常にあったと思う。

身体のこと、呼吸をやり始めて、身体が変わったら、心が変わるという体験をした。感覚も違うし。
今日、4年前の呼吸をしている自分の動画が出てきて(すごいひどかった!!!)、コーチのまみちゃんに見せたら、
「顔がもう全然違うね」
と言われた。
そう、顔が違うのだ!
身体の使い方だけじゃなくて。

そして、その間、私はその心の「痛み」は放置してきた。
それがあることには気づいていたけど、とりあえず放置して、身体のほうをやったのだ。
そしたら、心の痛みは、そのまま抱えて置けるようになった。
あんなに、掘り出して、さらけ出し、大声上げて泣いたのに。何度やってもそうだったのに。
触られると抵抗して、でもそこに触らないと治らないと思っていたのだけど、どっちかと言ったら、逆だった。

例えば、内臓に腫瘍ができて、病院で手術をしたら、そのあと、24時間体制で専門家が状態をチェックして、日常生活が送れるようになってから退院する。その後も定期的にメンテナンスが必要だろう。
なのに、心の痛みは、そんな体制にはなっていない。

例えば、骨折したら、骨がつくまで固定して放置するのが治療である。
そこをなにもしない。
なのに、心の痛みは、年がら年中、包帯外して、骨がくっついてるかどうかチェックする。だからいつまでたってもくっつかない。

例えば、転んですりむいて、血が出たら、ばんそうこうを貼って治るまで放置する。
かさぶたになったら、何もしない。
なのに、心の痛みは、いつまでもいつまでもかさぶたを剥がして、血が出るか確認する。
いじくりまくっていると、治らない。

過去の痛みは、誰でも持っている。
DNAに刻み込まれているのだから、無い人はいない。
今世の幼少期に痛い目に遭っていると、さらに痛みはひどいかもしれない。
だから、適切な処置は必要だ。
しかし、適切な処置をしたら、あとは、なにもしないで、治るまで放置する。
出来ることと言えば、自分の自然治癒力を最大限高めておく、くらいかな。

その痛みを持って生きている自分をまるごと抱えてみる。
生きてる間に完治することにはならないかもしれないが、ずっと寛解状態で生きたらいいじゃないかと思う。
(私は病気になって、医者に寛解と言われてから、そのままになっている。)
かさぶたを何度も剥がして、いじくりまくっていると、悪化しますよ、という話。

そしてこの、「なにもしない力」を身に着けるほうがいいんじゃないかな?と思っている。

では、またね。

■ 告知 ■
「なにもしない力」をつけるのにも、すごく良いかと思います。
呼吸のオープンクラスです。
よろしかったらぜひ。

12月18日(土)13時30分~15時 深呼吸の衝動


12月23日(木)10時~11時30分 自然呼吸の回復


12月27日(月)10時~11時30分 動的瞑想


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