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「怒り」と言う感情について

「怒り」は悪者のように扱われている。というか、扱っていた。

暴力(特に肉体的な暴力)は、大抵怒りとセットになっているような気がしていて、人を殴ったり、叩いたり、蹴ったりする時、沸騰するように怒りが湧いている、という場面が多くて、怒りのせいでそのようになる、と思っていたかもしれない。

私にとって、暴力はもっとも避けたいものであり、恐怖そのものである。

映画の中で、ナイフで腕が切られるシーンをみて、実際に自分の腕が切られたかのような感覚になるような敏感な子どもだったし、父親が怒りだすと、怒りをそのままぶつけて攻撃する人だったので、避けられない暴力をただ自分を無力にしてやり過ごしてきた時期が長かった。

子育てをしていて、一番したくないのが、「自分の怒りを子どもにぶつける」ということである。

子どもは親のすべてを受け入れてくれる上に、一人では生きていくことの出来ない保護やケアの必要な存在である。しかも、自力で生活できるまでに時間がかかる。その間、親から逃れられないので、もっとも怒りをぶつけられる存在となりやすい。

自分が変わりたい、と強く思ったことの一つに、この怒りをなんとかしたい、というのがあった。

子どもをありのままの存在として、自由にのびのびとこの子らしく生きていって欲しいなら、親がそのような存在であるのが先だ、ということを学びの中で自覚した。

その中で、「怒り」についてもたくさん学んだ。

世の中にも怒りの扱い方について悩んでいる人はたくさんいるようで、アンガーマネージメントなど怒りにフォーカスした手法もあるし、怒りで本を探したら、本当にたくさんの本がある。

怒りは、二次感情であり、その奥に必ず隠れている真の感情がある。

怒りは、情熱の源であり、その中に本当に望むニーズがある。

怒りは、大切なことを教えてくれていて、行動する源泉となる。

怒りは、予定狂いが起きた時に感じるものである。

怒りは、他の人からもらっているもので、あなたのものじゃない。

怒りは、感じるのが最大6秒だから、その6秒間感じきってしまえば昇華する。

怒りは、・・・・

と、いろいろなことをいろいろな人がいろいろな角度から教えてくれた。

そのどれも間違っていないと思うし、そうだなーと思うし、その時々で、イライラが解消したり、望んでいるものが他にあることに気づいたりと学ぶことも多かった。

そして、人に聴いてもらうことで、怒りは昇華して大切なものに変わっていくことが多かった。私はそれでカウンセラーをやっているのだなーとも思う。

イライラやモヤモヤ、ざわざわは、大切なことをお知らせしてくれる。

いろいろ学んできて、私が今、怒りに対して思っているのは

記憶や神経系システムのパターンが誤作動している。
怒りは、私の尊厳を守ってくれるものである。
ということだ。

1は、過去にあった出来事で、エネルギーが解放されずに残ったままになっていて、それが反応しているということであり、その時にはその反応が必要だったけれども、今は必要ない場合にも解放されて終了していないので、反応として現れてくると言うこと。これはトラウマを持っている人で、特に解離して身を守ってきた人には起こりやすい反応である。でも解離は誰でもすること(グラデーションがある)なので、誰もが起こりやすいとも言える。

2は、「怒りは、人権を侵害されるようなことがあった時に自分を守るために必要な感情だ」ということを臨床心理士の大河原美以先生がおっしゃっていて、私が、強く怒りを感じるときはどんな時か?を考えていたら、たどりついた。

私は、私の尊厳を犯されそうになった時に、猛然と怒っている。その怒りを閉じ込めてきたので、相当厄介なことになってはいたけれども。
それでも、そう考えたら、すごくいろんなことがスッと腑に落ちて、怒りに対して、ものすごい愛情を感じた。

変な表現だけれど。

「ああ、私を守ろうとして、怒りくんは頑張ってくれていたのだねー」という感じになった。
そう思ったら、怒りを感じた時に、押し込めなくて良くなった。長いこと、無視してきてごめんね、みたいな気にもなった。怒りを感じた時に、体の奥からカーッと湧き出てくる熱エネルギー、ブルブル震えがくるような感じ、バンバンバンと手を振り下ろしたくなるような衝動、うぎゃーっと叫びたくなるような感じ、などなどを嫌悪しなくて済むようになった。

自分の怒りをいらないものとして扱わなくても良い、ということだ。
不快ではあるけれども、必ず、それを収めることができるから、その間、ちゃんと感じきって、昇華させる。
怒りを我慢して閉じ込めてしまうのではなくて、怒りを暴力にして表現するのではなくて、もっと大切なものとして扱うことができるようになった。

もちろん、かといってまだまだ、カッとなってバッと出す!みたいなこともあるんだけど。子どもにそうなってしまった時は、すぐに謝る。
あなたのせいで、ママが怒っているわけではない、と言うことを伝える。
ママはママの問題で、この怒っちゃうのを止めることができなかったけど、あなたが悪いわけではないんだよ、と説明する。

アサーティブと言う自分も相手も大事にするコミュニケーションがある。
日本人は、相手を大事にしようとすると、自分を犠牲にしてしまいがちだという。確かに、相手の気持ちを考えなさいとは教わったが、自分がどう思っているかを大事にしなさいとは教わらなかった。
相手の気持ちばかりを優先してしまうと、自分がどうしたいかわからなくなってしまうので、そのことにモヤモヤしだす。
人は、自分も相手も大事にすると、健やかさを保つことができるようになっているんだなと思う。
わたしは、つい、自分が我慢すればと思ってしまって、自分の気持ちを置き去りにして、あとから怒りが湧いてくると言うようなパターンが多かった。
今は、自分のことも相手のことも大事にできたらいいなと思う。
もちろん、まだまだ表現の仕方が下手くそだなと思うことも多々あるけれど。

あと、自分の怒りを閉じ込めて、抑圧して、なかったことにしてきていると、それが開いた時に、膨大な大きさの怒りが出てくることがある。それは、一人では抱えきれないので、抱えやすい大きさにする、と言う作業が必要だ。一人では抱えきれないものを、一人で解体するのは容易でないので、信頼できる専門家と一緒にやるのがおすすめです。

大河原先生のオススメの一冊。

自分の怒りを自分でコントロールできるようになると、自己決定権が上がるような気がするのだが、どうだろう?
不快を快に変えられることができるのだ、と学ぶことから人は成長するんだと思う。

(2018年11月のコラムを加筆修正しました)


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