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人が死ぬという事は、人生を完結させたという事

「カムカムエヴリバディ」ご覧になってますか。
最近の錠一郎(オダギリジョー)がヒッピー(死語?)みたいになってるのは何故なのか気になってます^^;(ご覧になってない方、ごめんなさい)
トランペット吹いてた頃の錠一郎さんがもう1度見たいなぁ♡

さて、だいぶ前の回ですが、
錠一郎が定一(世良公則)の死を語る場面の、
錠一郎の柔和な表情を見て
思った事がありました。

人が死ぬ事は不吉な事
という概念がありますが
いつかは死ぬのは当たり前の事であり、
悲しい事ではないのではないか。
と、最近思うのです。

「死」に関して話す事は長年タブー視されて来たように思います。
「縁起が悪い」などと言って、
自分が死んだ後の事を会話にする事さえ、私の親は避けていました。

残された近しい人にとっては
喪失感でいっぱいであり、
悲しみに暮れて当然だけれども、
でも、本人にとっては、
ただ1度の人生を生ききって、最後の難関を突破したのだとは言えないでしょうか。

あの世へ行くのは誰だって怖い。
生命体として本能的に避けたいのは当然の事。
しかし誰にでも絶対にやってくる「その時」を超えて
あちら側に行った、行けた
という事は、
語弊があるかもしれないけれど
「よく頑張りましたね」と称えて差し上げたいのです。

お年寄りの訃報に触れると、
悲しいというより、
いつもそう思う。
年端のいかない子供や、自分より若い方の、特に通常のものではないそれの場合はその限りではありませんが。

有名な方のプロフィールには、死後、
「○○年〜○○年」と書かれるようになりますね。
あの表記で、人生が完結した事を感じます。

誰かの訃報を聞くたび
以前は
寂しい、悲しい
という感情が強かったですが、
自分が辛くなっていることで良くなる事はない。そう切り替えて、
「お疲れ様、頑張りましたね」
と、人生を生き切った方に対して
心でねぎらいの言葉をかけてあげて
あとは自分の毎日を粛々と過ごす事がいいのかなぁと思います。

それではまた。
今日もここまで読んで頂き
ありがとうございました❤︎


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