久しぶりの投稿

なんやかんや心が不安定でせっかく始めた投稿も続けられませんでした。
先日ずっと延期になっていた、葬祭ディレクター試験も終わり少し心に余裕が出てきた今日この頃、メールを見て「あれ?これ何だっけ?」って思いました。noteのフォローのお知らせでした。「あ、私こんなのやって
たな!」って思い出し、このページを勇気をもって開いてみました。
仕事をする中、日々心に残る様々なことがあるのですが、つい疲労に忙殺され書き留めるという作業をないがしろにしてきました。
早速、直近のお仕事について書き留めておきます。
直近のお仕事は、三歳のお子さんをなくしたご夫婦が出されたご葬儀でした。
故人:三歳女児(三女)
死因:腸捻転
喪主:父親(40)
家族構成:妻、長男(高校一年)長女(中学生)次女(8歳)
参列者:11名(喪主夫妻の両親や兄弟など)
式場にはお母さんが色画用紙に写真を貼りメッセージを書いた泣ける作品や、保育園に行くときのバッグや好きだったおもちゃ(最近はすみっコぐらし多数)お菓子などが並べられ、好きだったCD(嵐でした)の曲を流すという演出でした。
自分も三人の女子を育てた母として正直なるべく関わりたくない種類のお仕事だったことは言うまでもありません。
滞りなく式を終え、火葬場での待ち時間で、考えさせられる場面に遭遇しました。
若いご夫婦ですから、子供の為のお墓などあるはずもなく、しばらく手元にお骨を置くことを前提とすると聞いておりました。それはそうだろうなと思っており、納得するまで置いておけばよいのではと個人的に思っておりましたが、喪主の父親が喪主にこんなことを言っておりました。
「長く引きずるのは良くないから、早く納骨を済ませて、愛ちゃん(喪主の妻の名前)に早く今回のことは忘れさせるようにしたほうが良いよ」
ですって。
早く納骨すれば早く故人の事を忘れることが出来るのでしょうか?
私個人の考えでは、忘れられないことは納得いくまで引きずれば良いのでは?いつかは必ず時が解決してくれるはず。と思っています。実際私もかなり引きずっていた元カレの事も今は時が解決してくれ、フラれて2年目までは元カレの誕生日に迷惑とわかっているのにメッセージを送ってしまい、かなり迷惑な人を演じていましたが、3年目となる今年は晴れてノーメッセージを達成できました。子供を亡くした親とは比べ物にならないちっぽけな例ですが、心の整理がついていないのに、手元に置いておきたい大切なお骨を、早々と納骨したからって、それで解決できるとは到底思えません。そんなことを言っている人が周りにいるという事が、子供を亡くしたお母さんの負担をどれだけ増やすのかと思うと気の毒でなりません。
もうひとつ、私の心に刺さったのは、次女ちゃん(8歳)の事です。
お母さんの悲しみをすべて刷り込まれて、これから一緒に背負っていく存在に見えました。
火葬炉でお別れしたとき、彼女(8歳次女)は泣いていませんでしたが、お母さんが泣き崩れ、借りていたのは、夫の肩ではなく、彼女の小さいからだでした。自分に抱き寄せ、泣いていましたが、次女は困惑はしていましたが、泣いていなかったのを私は知っています。大人がこの数日間妹の死を悲しんでいる間、その悲しみをずっと受け止めてきたのは彼女だったのではないのかなと思いました。自分だって悲しいし、誰かに心配してほしいのに、我慢して、大人の右往左往をじっと見つめてきたんだろうな。
もし周りの大人たちが言うように、早くに納骨を済ませ、目の前からお骨が消えてお母さんが故人の事を忘れる日が来たとして、次女ちゃんがお母さんや周りの大人たちの様子を気にせず、心から大人に甘えられる日が早く来るといいな。「ここに生きてる私を見て」って言える日が来るといいな。

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