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優しさと絶望のあいだ

10年前、ドイツで初めて働いたときの同僚たちと今でも繋がっていられて嬉しく思う

彼女たちは優しくて、友達のような家族みたいで
どこか自分と似たものを今でも持ちづけている

優しい人は、痛みを味わったことのある人、もしくは避けたい人なんじゃないかとふと思った


どこかの会社のために働くということは、不満や文句を向かわせる先があるということ

わたしがいたときもそうだし
話を聞いていると、今彼女たちがいる職場もだいたい同じようだ

自営業やフリーランスになれば
文句と責任をぶつける先が自分自身に変わる

ドイツの労働環境はかなり守られているが
それだけで誰もがハッピーに生きられるわけではない

今自分のいる場所の重力がどんどん変わってきているように感じる

リスクをとることのほうが、安全なような気がしてきた

最近わたしは投資の勉強をはじめた

もっと自己理解を深めたいし、
コミュニケーション能力と正しく自己否定する力をつけたい

人に質問するとき、
わたしは自分が聞きたい答えを用意してしまうことがある

友達に教えさせてもらうとき、わたしは自分の傲慢さに気づかせてもらった

自分のなかにある汚いものをどんどん出していって
絶望した先にしか光がない

あなたはあなたらしく、わたしはわたしらしく。