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久しぶりのnoteで改めて自己紹介です❤

助産師MAYUMIです。

久しぶりのnoteです。

この4月より国の全国医療情報の一元化システムに伴い助産院の配信するweb情報も医療広告の規制がより厳しくなりました。
私も助産院を開業しているのでこれまでの表現方法や内容を見直す為に暫く投稿をお休みしていました。

改めて自己紹介です。

助産師になって38年目、助産院を開業して18年目です。
辰年生まれのおうし座、血液型O型。
趣味は着物着付け(山野流奥傳講師有資格)と読書(漫画本含め)。

只今LINE漫画で『アシガール』と『カモのネギには毒がある 加茂教授…』にはまっています(笑)。




開業前は、総合病院の周産期母子センターに20年間勤めていました。
(実際は母子センター業務以外のことも沢山していましたが…)

母子センターでは漫画「コウノドリ」のようなことが日常的にあり
一刻を争って走り回る仕事の仕方をしていました。

母子センター時代に友人の赤ちゃんを取り上げた時
*赤ちゃんは成人し写真掲載の同意は得ています


私自身もセンター管理するような
悲惨な妊娠出産、産後を経験しました。

無理して働いて…
切迫早産になり元職場に入院。

早産予防の為の薬の副作用で更に大変なことになり…
「もうこれ以上の妊娠継続は母子共に危険!」
と緊急帝王切開になりました。

我が子は1900g代の未熟児で生まれ
NICU(新生児集中治療室)送り。

お腹の中の足の位置が悪くて
生まれて来たら足が変な形に曲がっていました。


私は入院して3か月間寝たきりだったのと
薬の副作用で筋肉が溶けていて
産後は座る筋力すらなくなっていました。

その薬の副作用で1か月間イレウス(腸閉塞)を起こしていたので
産後に何を食べても消化できませんでした。

帝王切開の傷も痛い。

やっとの思いで搾乳していたのに
産後5日目に乳腺炎発症。

もう…最悪です。

乳腺炎から回復しお粥が何とか消化ができる頃
子どもを病院に置いたまま
100日間の入院生活を
終えました。


退院後は、実家に里帰りしましたが病院までが遠く
毎日半日かけてNICUに母乳を運び続けていたら…

産後早期の長時間の座位が災いし…
全身のむくみと妊娠中の痔核が悪化。
座ることもできなくなりました。


その後我が子は無事退院しましたが
2300gの体でおっぱいを吸う力がありません。

ただひたすら搾った母乳を哺乳瓶で流し込んでいました。


授乳だけで1時間半以上かかりました。

その後1時間もしないうちに次の授乳がやってくる。

体力の落ちている体でこれが毎日となると…
さすがに辛い。


親としての義務と助産師としてのプライドで子どもの世話をしていましたが…

子どもを可愛いと思えない。


こんなはずじゃなかった…。
こんな気持ちを抱く私は母親失格だ。

この世から消えてなくなりたい…。

そう思って毎日泣いていました。

そのうち子どもがおっぱいを吸えるようになり
少し気持を持ち直しましたが…

里帰りから自宅に戻ってみたら子どもがよく泣くんです。
前は眠ってばかりだったのに…。

病院の赤ちゃんも3時間毎にしか泣いていなかった。

助産師と言っても
生後1ヶ月までのよく眠る赤ちゃんしか知らない…


この子…何をしても泣き止まない…。

途方に暮れて…
我が子を抱いて4階のマンションのベランダに出たら…

ずっと下ばかりを向いていた私は
思わずマンションの地面に吸い込まれそうになりました。


「あっ…だめだ…
今…高い所は危ない…」

急遽、一戸建てに引っ越し
近所の人々に声をかけてもらいながら何とか命を繋いだ…

そんな体験をしています。


今から思うと『産後うつ』でした。


その経験で思ったのです。
正常な妊娠なくして正常な出産はない(当たり前だけど)。
正常な妊娠、出産なくして健全なメンタルはない(当たり前だけど)。
母子が一緒にいないで健全なメンタルはない(当たり前だけど)。


では、正常に行く人と行かない人にはどんな違いがあるの?
それは私が学んできた現代の産科学で網羅できてるの?


母子センターでバリバリやってきてたのに

…行き詰まりました。

そんな折「とこちゃんベルト」の開発者渡辺信子先生に出会いました。

先生の骨盤ケアのお話しは目から鱗でした。

そうか…
骨盤の問題があったから私は早産したのかもしれない。

胎児や生まれたばかりの赤ちゃんの姿勢って
その後の人生にも関わる大事なことなんだ。

私は何度も先生のセミナーに通い学びました。

そして先生の理論を応用し赤ちゃんの向き癖を直す為のおくるみ方法
『おひな巻き』の巻き方を考えました。

おひな巻き

その方法でおくるみをすると
「赤ちゃんがよく眠る」と
瞬く間に全国に広まりました。

本来の私の意図とは少し違いましたが…
ま、皆助かっているならいいか…


その後私は待望の第二子を妊娠しました。

今度は学んだ骨盤ケアを活かし正常な妊娠経過を全うしよう。

“おひな巻き”でぐっすり眠ってくれる赤ちゃんに育てよう!

と思っていました。


ところが…
流産しました…。


中間管理職と月10回夜勤の周産期センター業務。
核家族で小学校低学年の子育て。
それに妊娠。

当時の私の年齢(42歳)ではオーバーワークでした。

丁度、息子がが不登校気味でもあったので
思い切って病院を退職しました。


退職してしばらくは何もしないつもりでしたが
市町村の『赤ちゃん訪問指導員』の声がかかり
地域の活動を始めました。

毎月30件位訪問していたら
「もう一度あなたに会いたい!」
と何人かのママから声がかかるようになりました。

その声に押され
平成19年6月助産院を開業しました。


すると今度は
「あなたにうちの子を取り上げて欲しい」
と言われるようになりました。

そこでベテラン開業助産師さんの元で修行をしながら
”助産院出産”を引き受けることになりました。


現在はお産の取り扱いは辞めましたが
病院時代を含め30年以上お産を取り扱いました。
三つ子も取り上げたことがあります。

開業してからのお客様の対応は
リアルケア以外に赤ちゃん訪問、市の子育てサークル
電話やLINE、オンライン相談を含めると
述べ対応件数は年間1,000〜1,500件以上になると思います。
それを17年間続けて来ました。

主なお客様は妊娠中や産後1年半ぐらいまでの母子ですが
不妊や更年期でお悩みの方にもお会いしました。

なので、このような方々が
助産師に相談されることのおおよその検討が
つくようになりました。


助産院のケアの特徴の一つに
同じ助産師が継続的に関わる
というのがあります。

『わたしのかかりつけ助産師(my助産師)』
という関係です。

一人の女性に妊娠中から関わり始めると、
出産、産後、産後の断乳頃まで
約2年間寄り添うことになります。

その時期は女性にとって
最も女性性を発揮し輝いている時期
ですが、
同時に最もストレスフルな時期でもあります。

その時期を
私のように悲惨な経過をたどらないで
母子共に輝いて欲しい
母子関係の根っこを太くし
生きる力の強い子を育てて欲しい

その思いを込めて日々関わらせていただいています。


沢山の方々との貴重な出会いから成り立ってきた
私の助産師人生
改めてこのnoteに綴ってみようと思います。

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