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学校に行かない選択させますか?

昨年、長女がしきりに「学校に行きたくない」と呟く。

あの手この手で「なぜ?」を引き出していたのですが、その理由を聞いているうちに、娘にはそぐわない環境に身を置かせてしまったのだなと反省しました。

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1番最初に伝えてくれたのは、「同じクラスの子が集中的に怒られることが多くて、可哀想だし、嫌なんだ」と言うこと。

そのお子さんは、授業は聞いておらず、大体絵を描いていたり、急に手を上げて面白い発言をするとのこと。

すると、先生が「勉強をしなさい」「集中しなさい」とガミガミと怒り始める。

娘はとても繊細で感受性が豊か。人の感情をモロに受けて、一緒になってその感情を体験する。彼女にとって楽しいことなら、全く問題ない、むしろ元気になってやる気に満ち溢れるのだけど、悲しみや怒りはものすごくマイナス。

そこにきて、ティーンの反抗期、ホルモンバランスの変化ときている。

心の乱れが半端ない。

どうにか救ってあげたいなと思い、話を聴くに徹しているのですが、本当に残念な教育現場だなと言うのが私の感想。

世間一般的な勉強、すなわち答えの用意されている勉強は大人になってからも、いつでもできる。

でも、自分のやりたいことに出会うこと、人との付き合い方、問題を解決する力などは、答えのないこと。こういったことを見つけに行くのが集団社会で過ごす醍醐味だと信じているし、その考えのもと学校教育がなされている国もあるのに、日本の教育はまだ昭和スタイルのまま。

さらに、疑問に感じたのは、みんなの前で「しなくてはいけない」を押し付けること。

クラスのみんなの前で言うことで「勉強しないとあんな風に怒られてしまうのか」と恐れてしまうだろうし、「しなくてはいけない」と言う概念の押し付けで、子どもたちの素質を潰してしまうなーって本当にガッカリ。

そのお子さんは別にその授業に興味がないんだろうから、やっていないだけ。先生が提示するやり方を強制する必要はないし、必ず良い側面があるのだからそれを見つけて伸ばしてあげればいいだけではないかと。

どうしたら、授業が面白いものになるのか。どこに興味があるのか。など、子ども達に考えさせて、子どもが楽しくわかりやすい内容に変えていったっていいのではないかと感じます。

その話を聞いてから1ヶ月くらいして、娘に現状を確認してみると、

「あー、何も変わってないよ。いつも怒られてるから、それが普通になってた。」

えっ???普通になった???

あんなに疑問を抱いていたのに、それがすっかりなくなり、当たり前になってしまったことに、かなりショックを受けました。

居ても立っても居られず、先生に伝えました。

すると先生は、

「私も子ども達にのびのびと学んで欲しいと願っているのですが、この教育システムですと難しく、更には色んな親御さんがおり、異例の対応ができないんです。私1人の力では、この環境を変えることができません。ごめんなさい。」

先生も悩み、もどかしさを感じながら、教育システム、いわば、ヒエラルキーに押しつぶされて、自分の描く教育とは違うものを子どもに教えている。

そんな悲しい現実。このエリアでは、毎年何人もの先生が病んで辞めていく。それには、このようなギャップがあるからなのか。と、想像しました。

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日本の教育は基本的に「義務」しか教えてくれない。
どんな状況でも、どんな個性があっても、〇〇しなければいけない。答えは一つしかない。みんなと違うことは恥ずかしいことと洗脳させるような言い回ししかしない。

でも、海外の教育はまず「権利」を教えてくれる。
アメリカ留学した時も、まず初めに教えてくれました。「それは違う」「それはやりたくない」と言うことはすぐに言って欲しい。あなたには指摘する権利がありますよと。

私は高校留学だったので、授業を受けてみて、なんか違うなと思ったらすぐに変更できたし、なんならクラスにいる学年も様々。先生との垣根もなく、寄り添って私に最適な方法を模索しようとしてくれる。

先生に言いにくかったら、スクールカウンセラーが常時いるのですぐに相談できるし、勉強はその子のレベルに合わせて、クラスを変えてもらえるからストレスなく進んでいけるのです。

私は運良く両方を体験できたので、自分に合うスタイルを発見することができました。勉強に関しては優等生でしたが、テストで稼いだというよりは、先生とのコミュニケーションが私自身を救っていたと思います。

だから、受験という受験はしておらず、全て面接。それが私のできることだったから。

今、娘は小学生ですが、純粋にあれやってみたいなー。こんなのもいいなー。って言う気持ちやアイデアをたくさん持っているはずなのに、「〇〇しなくてはならない」「答えは一つしかない」と言う教育を受け続けていることで、その純粋な気持ちが潰されていっていることをヒシヒシと感じています。

いつも私は「学校に行かないという選択をとっても良いんだよ。いわゆる勉強はやろうと思えばいつでもできる。自分の好きなことを見つけて、それをやってみて、違うなと思ったらまたこれかなと思ったものをやってみる、その繰り返しだけでいいんだよ。」と伝えています。

子ども達が健やかに好きなことに没頭できる世界が広がることを切に願います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

Mayumi🦩


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