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ゆっくりペースダウンも時には大切。

3人の母というだけで、大ベテランと言われることが多いけど、家庭保育は初心者。先日のつぶやきで自分に大切なことを教えてくれていると書きました。

今の今まで、自分にとって大切なことに気がついていなかったわけではないけれど、家庭に仕事に忙しすぎて、心の奥底の自分を見る余裕はなく、日々のルーティンをこなすことがメインになっていたんですよね。

末っ子がもたらしたことは私にとって人生大きく変化するものであったと感じています。何度も転機はやってきているけれど、ここまで大きな変化はない。それは、「私として生きること」がどれだけ大切なことかということ。

よく「厄年は悪いことが起きる」「大殺界が怖い」など、運気が低迷する時を恐れることがあると思います。でも、運気が低迷するから、いつもよりスローペースにしようとか、気をつけようと注意したりしませんか?

学生時代、陸部の私は短距離専門でした。貧血持ちだったので、マラソンなど長距離は走れずいつもタイムを測る係。でも、走ることは好きだったし、スカウト来るくらい素質はあった様子だったけど、貧血で過酷な練習はできないので中学で辞めました。

社会人になった時、何か自分のできないことを克服しようとマラソンを始めてみました。最初は早歩き。次は5分走って、10分歩く。そして、徐々に走る時間を伸ばしてハーフマラソンを完走しました。なんだやればできるじゃん。むしろ色んな景色を見て風を感じて、マラソンって楽しいんだと趣味の一つに認定されました。

人生も走ることと一緒だなと思うんです。短距離で走っている時は周りは何も見えない。ゴールだけ。でも、マラソンしたり、歩いたりすると周りの景色が見えてきて、次はあっちの道へ行ってみようとか、あのビルまで走ってお茶しようとか、周りを見る余裕ができたり、自分の心赴くまま動いたりする。

私は末っ子が生まれるまで、フルタイムで働きながら子育てして、とにかく全力投球で駆け抜けて、本当に余裕がなかった。でも、仕事も辞め、子育てに専念しようと決めてから、あれ?私ってパソコン仕事好きじゃなかったのかー。とか、子どもと関わっていると元気もらうなー。とか、我が子を見ても、この月齢でこんなことできたっけ?なんて気づきがたくさん出てくる。

もちろん、子育てに専念しても常に時間に余裕ないし、ちょっとずつだけど仕事は続けて、なんだか毎日忙しいんだけど、あの時と比べると、心に余白が生まれていて、天と地のような差がある。

自分と向き合う時間も増えて、本当は何がしたいのか、何を心が訴えているのか、どんな世界に私は行きたいのか。

そんな風に、ひたすら自分と対話したり、周りを見て、自分に気が付くこともあります。

スローペースになるって何にも悪いことではなく、休息の時であり、自分を振り返る時間なんだなと信じています。厄年は61歳までないけど、末っ子が幼稚園に入るまではペースダウンの時として、その先走るエネルギーを貯めておこうと思っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

Mayumi🦩


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