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宗教 ①

母は宗教に傾倒していた。

私が最初に気づいたのは小学校の3年の運動会の前日、準備のために5、6時限がなくなっていつもより早く帰った日だった。

家には母とともに十数人のおばさんがいて、お仏壇に向かって大きな声でなにやらお経をあげていた。
すごい違和感を感じて、なかなか家に入れなかった。
自室に入るまでに仏間は通る必要がなかったので、玄関から一目散に自室に入り引き戸にツッパリ棒をし、本を積み上げ二段ベットに飛び込みじっとしていた。

ドンドン!「姉ちゃん、開けて!姉ちゃん!」
上の妹が帰ってきてうるさい。ばれるやんか。やめてくれ!
引き戸を開けると妹が真っ青な顔で立っていた。
彼女はまだ1年生で、私より早く帰って遊びに行っていたらしい。
さっと手を引いて部屋に入れる。
そしてまたツッパリ棒をして、ありったけの本を積んだ。

妹は1人でいることを嫌がり、同じ布団にくるまりながら、どちらも何も話ができず、ただじっとしていた。
ホホホホと上機嫌の母の笑い声が聞こえた。
母が怖かった。

それから母は、祖母が留守の時に必ずお客さんを呼ぶようになった。
父はそのことに気づかず、私と妹はなぜかそれを父に言ってはいけないと思っていて、言えなかった。

冬になって雪が降った。
学校がから帰ってみると、家の外に聞こえるほどの大きな声で祖母と母が言い争っていた。
上の妹は玄関の前でしゃがみこみ、泣いていた。
幼稚園から帰ってすでに家にいた下の妹と、生まれて半年にもなってない弟は、叫び声の響く居間から離れた応接間でテレビを大音量で見ていた。

上の妹を連れて家に入った。迎えたのは父だった。
父は私にお菓子を渡し、妹たちを頼むと言って修羅場へと戻って行った。
思えば、平日の昼間に父が家にいるというのはものすごく変なことだったのだけれど、幼かった私はそんなことにも気づかず父の存在にただ安心していた。

が、どうやら父はリアルちゃぶ台返しをやったようだ。
大きな音がして、静かになった。
祖母が泣きながら自室に戻り、母親の勝ち誇ったような大笑いがあり、バシンという音がして今度は母親の泣き声が大きく聞こえた。
きっと、あの時、父は母を平手打ちしたんだと思う。
あの、穏やかな父が…。

私たち3人は、応接間の隅で固まってただ震えていた。
弟は絨毯の上に敷かれたベビー布団の中で寝ていた。
この事を覚えているのは、いま母と私しかいない。
妹弟は幼すぎ、祖母も父ももういない。

喧嘩の原因が何だったのか、20年以上経って父から聞いた。

祖母と母の確執は知っていた。
祖母は母が洗濯したものを汚いと言ってすべて洗濯しなおしていた。
食事は不味いと言い放ち、こんな嫁で父がかわいそうとしつこく言った。
母は小学3年の私がわかる程度には、祖母にいじめられていた。

そして、母は宗教に逃げた。
あの喧嘩は、母が宗教にハマって家事を手抜きしているのを祖母が注意したことから始まった。

個人が宗教にハマることを否定はしない。
信仰は自由だし、それを止められるものでもない。
宗教は、確かに苦境から自分を救う手段として1つの選択肢になるだろう。
宗教をやってるからという理由で、誰かに否定されたり、距離をとられたりすることもおかしいと思う。

でも、家族にしてみたらそれで家庭を崩壊させるのはダメダメだ。
家庭をめちゃくちゃにしている自覚がないのはもっと悪い。
では、母の精神が崩壊してもよかったのか?
それは最悪だ。
それ以外の道はなかったのか…とも思っていた。

宗教に傾倒するのは、逃げたくてもどうしても逃げられない困難がある時、自分を救ってくれる、すがれるものを探すからだと思う。
そこに逃げる以外の選択肢はなかったのだろうか。

例えば、母の場合『離婚』とか『別居』とか『二世帯住宅』という選択肢はあったはずだ。
ではなぜ、母はそれを選ばなかったのか。
私は不思議だったので父に聞いた。

父はかつて母が好きで結婚した。
結婚して9年の間に1男3女に恵まれた。父の言う幸せが何だったのかは、いまとなってはもうわからないが、その期間は幸せだったと言っていた。
祖父が病気になり入退院を繰り返すようになったため、父の生家に同居するようになったときから、ぎくしゃくしはじめた。

妻が自分の母の悪口を言う。母は自分の妻の悪口を言う。
間に挟まれて、父は居場所をなくしていった。
唯一の慰めは子どもだった。
子煩悩で優しい父だった。

家では嫁姑の問題で安らげない状態が続き、そのうち外に安らげる場所と人を見つけた。
その人と一緒に都会に逃げる計画を立てた。
その時すでに、母には二世帯住宅とか姑と別居とかの選択肢はなく、離婚か我慢しかなかったのかもしれない。

父から離婚したいと告げられた母は、子どもを含めて実家の世話になろうと考えたようだ。
世の中はそんなに甘くなくて、母が実家から言われたことは「離婚するのは勝手だけれど、家には一歩も入れません、」だった。

すがれる場所をなくした母は、子どもが独立するまで離婚は待ってくれと涙ながらに父にお願いしたらしい。
母には母子家庭として生活していくだけの生活力がなかった。

その時に父が母のことをどう思っていたのかは知らない。
その女の人をとても大事に思っていたことはわかった。
ただ、私たち子どもが路頭に迷うことは人として許されないと思った。と言っていた。

そうやってギリギリのところで離婚を回避した母は、我慢する生活を強いられた。
お嬢様の母にしてみれば、女王様から下働きへの転落だった。
そこに宗教が『祈れば救われる』と寄ってきた。
傾倒していくのも無理はない話である。

幸いかどうかはわからないけれど、母の宗教は家族を引き込まなかった。
宗教によっては、家族全員で参加しなくてはならないとかあるようだけれど、母は個人で信心していた。
ただ、(たぶん善意で)私たちや自分の姉弟、その子どもたちを入信させようとはしていた。
友人が病気になって入院したとか、離婚したとかを聞くと入信をすすめに行っていたようだ。
父に叱られ、その布教活動は終わった。

信仰すれば誰でも必ず幸せになれる
信仰を持たない罰当たりは、死んでから後悔する。

母はいまでもよくそう言う。

そんな母を愚かだと思う。

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