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冒険

別に、何かがあったから書けなかったわけでもなければ、何も無さすぎて書けなかったというわけでもなく、4ヶ月も放置したのは「書くことに楽しさを感じなくなったから」に他ならない。

というか、それ以外の楽しみを見つけて没頭していた。

私は不器用で、何かに没頭するとそれ以外のことがまったくできなくなる。興味をなくしてしまうのだ。いわゆるマルチタスクが可能な脳ではないのだろう。

今回、楽しんでいたのはデイキャンプだった。

それについて書こうと思えば、十二分に書くネタはあったし、書き残しておきたいエピソードもある。それでも書く気にならなかったのは、なんとなく「スマホに支配されている生活」から抜け出したかったから。

外にいるとスマホにあまり触らない。というか触っている暇がない。スマホやPCがなくても楽しく過ごせる。家にいるとつい触ってしまうから、外に出る。私にはそれが向いていた。

街中で買い物というものにもスマホは必要になる。最近はどの店もアプリなどがあって、それを使うからだ。

観光地へ行くのにもスマホは使う。観光スポットの検索やカメラで使うから、必需品とも言える。

一晩過ごすキャンプでも、夜になるとなにかと使う。ちょっとした暇があるとつい触ってしまうのと、ライトを便利に使ったりしてしまうのだ。

結局、デイキャンプが一番使わなかったのと、季節的にかなり良かったので没頭していたのだ。春になって虫が出てくるとかなり嫌かもしれないが…。
もうしばらくは家族でスマホを使わない時間を共有したいと思っている。


スマホを使う生活は便利だ。使っている方がそれを理解して「道具のひとつ」と受け止められているうちはいい。

そのうち「スマホがなければ何にもできない」になってくると、それはもう自分の生活をスマホに委ね、支配されている状態なんだと思う。

私は、スマホに支配される生活をしていた。それはそれで楽しかったし、全面的に否定するわけではないが、スマホ以外のことができなくなる。時間には限りがあるから。

パズルでも手芸でも何でもいいんだけど、一人でできるものじゃなくて、家族でできるものを今はやりたいなぁと思う。


子どもが二十歳になったとき、「この子とあと何年一緒に居られるんだろう」と思った。

20年はあっという間だったし、一緒にやりたいことをすべてやれたわけでもなかった。
私たちがこの子に遺してやれる最大のものは、ともに過ごした時間だ。その記憶が、後に一人で生きていくときの力になるだろう。

親子三人で机を囲んで、スマホにかじりついていた記憶しか残らないのは、あまりにもさみしい(笑)

外へ出よう。
彼はそれを「冒険」と呼ぶ。



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