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【読書感想文】ライオンのおやつ

どうも、mayumiです。
昨日は丸1日読書の日となりました。

小川 糸さんの「ライオンのおやつ」を読み終えたので、感じたことを綴りたいと思う。

人生の最後に食べたいおやつは何ですか――
若くして余命を告げられた主人公の雫は、瀬戸内の島のホスピスで残りの日々を過ごすことを決め、穏やかな景色のなか、本当にしたかったことを考える。
ホスピスでは、毎週日曜日、入居者がリクエストできる「おやつの時間」があるのだが、雫はなかなか選べずにいた。
――食べて、生きて、この世から旅立つ。
すべての人にいつか訪れることをあたたかく描き出す、今が愛おしくなる物語。

この「ライオンのおやつ」は余命宣告された若い女性が、抗がん剤治療の甲斐なく、打つ手がなくなり、「それなら残りの時間は静かに暮らしたい」と瀬戸内にある小さな島のホスピスに向かうところから始まっている。

都会の暮らしでは、悪いウィルスを吸ったらどうしようかと神経質になっていた彼女に、心置きなく暮らせる生活が待っていた。

(P.13) 空気がおいしい。
おいしすぎて、おかわりするみたいに、二回、三回と繰り返した。
それだけでもう、おなかがいっぱいになる。こんなふうに、空気を完熟した果物みたいにむさぼったのは、いつ以来だろう。

ホスピスというと、病院ぽい無機質なものかと思っていた彼女だが、着いたそこは、まるで助産院の雰囲気に似ている。

(P.14~15)
生まれることと亡くなることは、ある意味で背中合わせですからね。
どっち側からドアを開けるかの違いだけです。
こちら側からは出口でも、向こうから見れば入り口になります。
きっと、生も死も大きな意味では同じなのでしょう。
私たちは、ぐるぐると姿を変えて、ただ回っているだけですから。
そこには、始まりも終わりも、基本的にはないものだと思っています。

このホスピスは「ライオンの家」という名前で、細かい規則はなく、ルールがあるとすれば「自由に時間を過ごす。」こと。

身の回りのことは、自分でできることは自分でやって、やれないことは周りがサポートするし、やりたくないことはやらなくていい。

朝ごはんは365日、色々なお粥が出てくる。
お粥なんてぼったりして好きじゃなかった主人公も、優しくて温かいお粥にとろけそうになり身悶えている。

毎週日曜日の3時には、おやつの時間がある。
誰かの思い出のおやつを、出来るだけ忠実に再現したおやつが振舞われる。
これは、厳正なる抽選で決まるので、生きている間に食べれる人もいるし、亡くなってから紹介される場合もある。
青春時代に食べたあの味や、家族との思い出の味、みんなそれぞれである。

ライオンの家では、誰かが亡くなると、玄関に大きなロウソクに火を灯す。
あの人も、この人も、次々と亡くなっていく。
でもただ悲しいだけではなく、その人らしい最期というか、誇らしかったり、幸せに包まれながら旅立っていく。

(P.248~249)
人生というのは、つくづく、一本のろうそくに似ていると思います。
ろうそく自身は自分で火をつけられないし、自ら火を消すこともできません。一度火が灯ったら、自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかないんです。(中略)
生きることは、誰かの光になること。
自分自身の命をすり減らすことで、他の誰かの光になる。
そうやって、お互いにお互いを照らしあっているのですね。

***

今年9月、友人がガンで亡くなった。享年44歳。
彼女のガンが分かったのは、今年7月。
闘病記録が毎日ブログに綴られている。
「絶対病気に勝つぞっ!」そんな意気込みに溢れている。
繰り返される入退院、抗がん剤治療、痛い、苦しい治療によって、写真に写る彼女の笑顔がどんどん消えていった。

終末期治療については、色んな意見があるし、あっていいと思う。
どのような最期を迎えるかは、その人その人違っていいと思うし、違うのが当たり前だと思っている。

この本の主人公は、幸せだったと思う。(病気になったことは別として。)
友人の闘病生活は、コロナの関係で友人や家族とも満足に会えないものだった。また、家で飼っていた愛犬とも会えない日々が続いていた。
もし、彼女の最期が主人公のように大切な人たちに囲まれて、穏やかな日々を迎えられていたらなと思うと無念で仕方ない。

この本を読んで、今ある当たり前のことが当たり前じゃないんだと改めて気付かされた。
歩く、話す、食べる、排せつする、眠る。
今までできたことができなくなる日がいつかくる。誰にでも、分け隔てなく。
感謝しよう、すべてのことに。

そう思った一冊でした。
オススメ度★★★★★

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