進化しちゃったらダメですか?
noteに記事を書くようになってから、
画像についてもいろいろ考えるようになりました。
フリーで使えるフォトストックからも画像は探せるんですが、
私が言いたいこと、伝えたいことは当然、
これまでの経験や感動から生まれているので、
フリー素材を探しても、ぴったりくる画像はありません。
結局、自分で撮った画像を使っています。これはこれで、選ぶのが超大変です……。
しかし、そんなことよりも私が驚くのは、
これらの写真の撮影機材が、考えてみたらすべてスマホだということです。
歳バレしそうで恥ずかしいんですが、私、編集者歴は割と長い方です。
最初に雑誌の編集部(航空マニア向け業界誌の出版社でした)で働き始めた頃、カメラマン達が使っていたのはフィルムカメラで、
簡単なレポート取材時は、取材者である自分が撮影も兼ねていたので、
大枚はたいて一眼レフカメラを買ったりしていました。
転職してマダム雑誌の編集部にすべり込んだら、
料理やうつわ、高級宿なんかを撮影する巨匠みたいなカメラマンは
みなさんフィルムカメラ、それもポストカードみたいなビッグサイズの
すごいフィルム(とカメラ)が商売道具でした。
そうなるともう「私も撮りたい」とか、そんなことを言い出せる世界ではなく、
必然的に「撮影 by 私」というシーンは少なくなっていったのです。
時代が移り、デジタルカメラが一般化し始めた頃。
会社は当然、さまざまな部分でコスト削減になるのでデジタルカメラを推奨、というか、
デジタルカメラを使うカメラマンとだけ仕事せよ
という通達めいたものを発表しました。企業としては当然だと思います。
そんな時、
フィルムじゃないと魂こもった写真、撮れねーよ
とおっしゃった方がいたんです。渋い!と思われますか? 私は逆です。
そんなことあるわけないじゃん!
最先端の道具や技術を使って、表現の着地点が変わることはないと思います。
先輩諸氏は、鉛筆で原稿書いてたと聞きますが(すご…)、
今、スマホに向かってぽちぽちこの文章を書き綴っている私に
情熱がないとは、言わせません。
鉛筆でも、ワープロでも口述筆記でも何でもいいんですが、
伝える作業に最も重要なのは、中身。コンテンツだと思うんです。
私のスマホ写真に魂が宿ってるという自負まではありませんが、
コンテンツに濃い魂を吹き込むためには、自分で撮った写真が必要です。
今、食の世界に身をおき、多くの料理人の仕事を拝見していると
時々、「フィルムじゃないと魂のある写真は撮れない」とおっしゃったカメラマンを思い出すことがあります。
過去から伝わる製法を守り、例えば伝統の味だったりを残すのは意味深いことです。
けれど、「じゃあなんで伝統の味を残す必要があるの?」という
いわば“背骨の思想”が欠落していると、
その伝統料理は、ただのルーティンワークです。
何百年も続く思想なきルーティンワークなのか、時を経て新たな発想も交えつつ「どう残すべきか」を考えた結果の仕事なのか、
はた目には同じに見える「伝統の味」でも、両者の差は大きいのではないでしょうか。
最後に、今年恵比寿に誕生した寿司店「恵比寿 えんどう」についてお話しさせてください。
店主の遠藤記史さんは、イギリスの体育大学を卒業し、元はサッカー選手という異色の経歴の持ち主。
父も寿司職人で、遠藤さんご自身は別店で修業し、独立しました。
遠藤さんは、一見「頑固一徹寿司職人」的な風情を持ち合わせた方ですが、
例えば、江戸前寿司の定番「穴子」を握りません。代わりに「鰻の握り」が登場します。
「子供の頃から、寿司はもう空気みたいな存在でした。けど、海外で7年暮らして東京に戻ってみたら、いろいろと不思議に思うことが出てきました。例えば『なんで江戸前寿司は鰻じゃなくて穴子なの?』とか。いろんな文献を読み、自分なりに調べてわかったのは、「江戸前寿司は海産物を使うのがしきたりだから」。それ以外にも理由はあるのかもしれません。しかし、最も大きな理由はどうも、“そういうもんだから”らしい。
理解はできます。江戸時代、河岸の男たちが仕事の合間にかっこむ安価なファストフードだった寿司。冷蔵庫もなけりゃ運送手段もない時代に誕生したメシなんだから、遠い土地の川で獲れる鰻よりは、目の前の東京湾で獲れた穴子の方が適当だったんでしょう。
でも今、令和ですよ? 絶滅するかもと言われる鰻ですが、美味いのは確か。現代の技術やセンスをもって、江戸前寿司について真面目に考えていきたいと思っています。
なにも私、ロボットが寿司を握るのブラボーって考えてるわけじゃない。
でも、どんな時代の料理人でも、与えられた条件を駆使して
自分の思想も重ねてものを作り上げていくことこそ、伝統を守る以上に尊いのではないかというのが、最近の私の発見でした。
フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。