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フォーカスしないこと。

前回、「グチオバハンがうつって、わたし自身も愚痴オバハンになってもーた 」という話を書いた。

「自分、一体なんでこんな些細なことにイライラしてるんだろう?」と考えていたのだが、思い当たった理由はただひとつ。

母のせいだ。

物心ついた頃〜現在までずっと、母に「汚物処理係」として扱われて来たということがまだ悲しいんだなぁ… まだヒトからこーいう扱いをされるとスルー出来ないんだなぁ… と気づいた。


日々のイライラや他の人に対する愚痴、なんなら全く関係無いTVの中の人に対する苛立ちや愚痴、私に対する理不尽な八つ当たり……母にはそーいう類のコトバしか貰えなかった。

今なら言えるんだけどね。
「それはあなたの受け止め方の問題。怒る程のことじゃないし」
「直接話しなさい」
「それをナゼ私に言って解消しようとするのか?自分の機嫌は自分で取ってくださいませ」

若い私は巧く言葉に出来なかったし、ぜーんぶ受け止めて動いて、いつか母も成長してくれるんじゃないか?…というか言わなくても解ってくれているんじゃないか?と思っていた。
しかし、いまだになーんも変わらない。気づかない。覚えてすらいない。
私の我慢と怒りだけが残っている。

喉や胸のあたりが詰まる感じがしてコトバがうまく出せなかったり、【自分を生きていない感じ・人間として欠けている感じ】を自分で癒し、1から構築するのにかなりの努力と苦労と時間が必要だったことを、まったく気づいてすらいない。
私が母を甘やかしすぎた。


とまあ、このどーろどろの感情は一生モノよ(笑)。
言語化出来るようになって、しっかりさらりとフェードアウト出来ただけで上々。
母がこの世から居なくなっても私に残る呪いのようなもの。

対処法としては「フォーカスしないこと」
痛い所も気にする程に痛くなる。
嫌な人はもう嫌な所しか見えなくなっちゃうものだ。
そこからちょいと脱して、ピントをズラす。
何か他のものに夢中になる。集中することなんだろうな。

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