まずは思考から日本を脱出してみる
海外に行って理解した職業倫理観の違い
職業倫理観とは?
日本においての仕事とは?
仕事に関する考え方やスタンスが欧米と日本ではまるっきり異なる。一度海外に出ると、日本のコミュニティで働くことの方がマクロで見ると独特であるのかも?と思えてきた。
日本で仕事をするということは
・年功序列を重んじる
・秩序を重んじる
・上司や目上を立てることを重んじる
・礼儀やマナーを重んじる
・失敗しない
・出過ぎない
・空気を読む
・不快な思いをさせない
・知性のない会話に付き合う
・独自ルールが存在し、適応する
・海外の人にはめっぽう弱い
・コミュニケーションは一方通行
・ちょっとでも上にいかない
・一度失敗したら全てを崩される(失敗を喜ぶ節がある)
などと、精神論でまとめられることが多いと思う。仕事のスキルというよりも独特なコミュニケーションスキルが求められる。上記ができない場合は「空気が読めない奴」「無礼な奴」「気の利かない奴」、仕事でアイディアを持つ人は「勘違いした奴」「でしゃべりな奴」などという烙印を押されてしまい、出世などは皆無となる。
よって、「日本においての仕事とは?」への答えは、
「上司の顔色を窺って、彼らが主役でいるための黒子に徹する」こととなる。そうすれば上司に愛され、出世の道、すなわち「太鼓持ち」スキルが育つのである。
覚えておくこと
上司自身が学んでいない限り、部下は一生使いっぱしりである
上司が部下を持ち上げる時は、多いに好みが反映される
痛いところをついてくる観察眼の鋭い部下は煙たい
何もなければゆるく過ごしたい人が大半
バカ上司はバカな部下が好き
自分に甘く、他人に厳しい
リーダーシップを履き違えている
日本が弱いと言っても、逃げ切れる年齢層には危機感なし
仕事のスキルより、上司にとって害のない部下でいることが重宝される証
話すのは「上司」聞くのは「部下」
出来の悪い奴ほど愛されるのは本当
欧米においての仕事とは?
ライフワークバランスが取れていて、オンオフがはっきりしている。仕事中のランチにワインを嗜むなど、日本の感覚からすると自由。仕事は仕事で自分の担当に専念する。(国によってはいいかげんかもしれないが)
上司と部下の上下関係というよりは、フラットに意見を交わせる。本当の「仕事」をしている、という感じ。
話す時はしっかり話す、聞くときは集中して聞く。お互いになんらかのプロであることをリスペクトしあっているのが前提で織りなされる会話で成立している。
日本でしか働いていないから窮屈だったと知る
生まれてこの方、日本のコミュニティ内でしか生きたことがない私からすると、私が抱えているストレスの多くは「外資系企業」に行けば解決するのだろうという結論となった。
職業倫理観を持っている方だったけれど、日本的な「和を持って貴しとなす」にも同意ができていた。それでも日本自身が「学び」を大切にしていれば、のことである。
でもそうではない。
日本を右肩下がりにした年代は引退を目の前に逃げ切るところである。その引退を迎える近い未来までこきを使われる世代がリーダーになる頃は、日本は失墜に向かっているだろう。
自分に意見がないわけではなく蓋をされる風潮や日本独特の職業倫理観は、欧米を少し知っただけでもとても独特であることが理解できる。
日本企業の上司たちは、海外の人たちには弱いので、コミュニケーションへのストレスは、さらに「ウチ」である者への当たりは強くなるだろう。そしてその上司たちをすっ飛ばして英語で話そうもんなら怒られるのである。
「ザ・日本」で起こることは気にしない
職業倫理の観点から、日本では「スキルでのストレス」ではなく「人間関係のストレス」がほとんどを占めているので、果たしてそれは「職務を全うする」とは言えるのだろうか?
専門職であればそうなのかもしれないが、営業職などの分野では「長い者が良い」風潮はまだまだ存在する。
日本社会にいて、社会にかかる負の圧力とは対比して、それらを生み出した人達は老後の心配しかしないもの。部下をどうする、会社をどうする、なんて全く考えていないことを噛み締める。だから私も上司にどう何を言われようが気に留めないようにする、ただそれだけでも楽になる。
麻薬ではなく成長抑制剤を打たれているようなもの。ジリジリと貧乏になっても相対的には大丈夫。日本は安いものの隣には安いものがある。ビシッとスーツで決めなくても、隣の人もヨレヨレなのである。
ヨーロッパの街は皆が小綺麗で、特に男性のファッションは目を見張るものがあった。ファッションが及ぼす自己肯定感や満足感も矜持に現れるのだろう。
結論
日本社会の仕事コミュニティで起こることは全てあしらう。アホみたいなことで騒ぎ立てても、今のように何も考えず対応する。出る杭は打たれるので出ないこと。無意味なストレスを消耗しない。勉強とチャレンジをしてコミュニティから脱する試みをする。自分に厳しく。
ムラ社会が苦手ゆえに見つけた突破口。かなりざっくりしすぎなレビューであるけれど、ストレスなく、人生を過ごすには日本的感覚から脱するのも一つの手であることが分かった。
まずは「これが全てではない」という考え方から。
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