見出し画像

私達はいつも同じところに立って 

インタビューのいちばん最初に、その人はこう言った。
「繭子さんは、なにを書かれるんですか」

一瞬、何を聞かれたのかわからなくて。

だってこれは小説家になりたい「私が」なった人に聞いてみる連載だから。あ、この人はもしかして、これまでの連載記事を読んでいないのかもしれない。

「あの、この連載は小説家になりたい私が、あ、私、小説家を一応目指してるんですけど、文学の新人賞を取った方々に……」と説明しかけて、こちらを気遣いながらも目がはてなになっているその人の顔を見て、気づいた。

その人は、私がどんな小説を書くのか聞いてくれたのだ。

私はかあっと胸が熱くなり、あわてて話し始めた。
聞いてばかりだったから、自分がどんなものを書いているか全然うまくまとめられず、しどろもどろになった。でも嬉しくて。

同じ、書く人として、その人が私を迎えてくれたことが。
楽しみにその話を聞いてくれたことが。

インタビュアーはこちらのはずなのに、その後も何度も話は私の小説の話題に戻った。気が付いたら、生い立ちまでその人に聞かれるまま話していた。
その人の口癖は「おっしゃるとおりです」で、そう言われるとぴかぴかの小学一年生のように嬉しくて、その人の質問にどんどん答えたくなるのだ。
「繭子さんのその小説、読みたい」とその人は言った。
「あ、繭子さんって呼んでもいいですか、もう呼んでるんですけど」と付け加えた。

この連載を始めた時、「メンタル拷問みたいな企画」的なことを知らない誰かが呟いていて、ずっとその言葉がちらついていた。

「小説家になれない小説家志望者が、小説家になった者に話を聞く」
劣等感にあら塩をすり込んでどうするんだ、というような意味なんだろう。

でも実際は、これまで取材で会った「小説家になった人」はみな、いつも私を小説を書いている人、つまり「小説家」として扱ってくれた。

そこにはトロフィーもメダルもなく、一緒にこの得体の知れない小説というものと格闘する連帯感があった。「うちらの推し、超めんどくさいですよね、でもなんだかんだ好きだからしょうがないっすよね」といったたぐいの。

私達はいつも同じところに立って、小説のことを話し合っていた。

取材時間は毎度のことながら大幅に延びて、終わったのは13時半だった。おいしそうなうどん屋さんを見つけて入って、湯気がもうもうのうどんが差し出された。

曇った眼鏡をひとり笑いで外したら、じわっと涙が出た。

その前の週、私はある人に「子どもを産んだ人はいい小説は書けない」と言われた。

でも今日、「その小説、読みたい」って言ってくれるひとがいた。

私達はいつも同じところに立って、小説のことを話し合っている。


・・・・・・・・・・・・
私を名前で読んでくれたその人は、新潮新人賞を「シャーマンと爆弾男」で受賞した赤松りかこさんです。

じつは大江健三郎と同じくらい、私の小説について質問して下さったのです。話すうちにいろんな共通点が見つかって、すっかりお友達になりました。

こんなふうに、小説を書くことでつながりが生まれるのが、とても幸せです。

武藤奈緒美さん撮影。それにしてもすてきなお部屋でした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?