見出し画像

小説家になりかけて、なれなかった話

じつは、小説家になりかけたことがある。
結局なれなかったので、みっともなくてアレなんだけれど、
それがあっての今のくすぶりなので、書いてみる。


今日、早稲田文学編集室からメールが来た。今年の3月末をもって、編集室が解散となったという連絡だった。
一度だけ、「早稲田文学」に小説を載せてもらった。
きちんと原稿料も頂いた。初めて確定申告をした。嬉しかった。
そして、今回、今後の著作権などについて、著者の一人という扱いで連絡をもらったのだ。ただ単に、メールリストにかろうじて残っていただけ。わかってる。でもそれでも、まだやっぱり、とても嬉しかった。

角田光代さんに「書いて」と言われて

私の小説が「早稲田文学」に載せてもらえたのは、実力でも何でもない。本当に、ただのラッキーだった。

当時、私は前職の出版社で角田光代さんのエッセイの編集担当をしていた。もちろん、自分で志願してなったのだ。だって、角田さんの「愛がなんだ」を読んで私は小説を書こうと思ったんだから。

でも小説を書いていることは角田さんには言わなかった。大ファンなことも言わなかった。片思いをしながら勝手に照れていた。畏れおおかった。

ある日、角田さんと窪美澄さんと三人で飲んでいた時、
(窪さんは元うちの雑誌の看板ライターだったご縁で仲良し)
角田さんが「早稲田文学」の責任編集を任され、「新人賞のその後」というテーマで原稿を募集しているという話をされた。
小さな文学賞を取った後、書く場所がなかなかない人たちにもう一度作品を書いてもらって、光を当てたいと考えているけれど、良い人がいない、と。

その時、窪さんが「清さんも小説書いてるんですよ。深大寺恋物語大賞っていうのをとったんだよね?」と水を向けてくれたのだ。
「え!そうなの!荒野さんが審査員している賞だよね!書いて、書いて!」
と、角田さんが目を輝かせて言ってくれたのだ。

自分が小説を書くきっかけとなった小説家に、小説を「書いて」と言ってもらえる……それが文芸誌に載る……。え、夢なのかな?

あまりにも幸運すぎる展開で、「きっと角田さん、酔って言っちゃったんだよ」「今頃後悔してるかも」「やっぱり検討の結果、ナシでってなるにきまってる」「というか、やっぱり夢だったのでは?」と、ずっと「やっぱりちがったver.」の想定をして、失望の予防に努めていた。

でも、本当だった。
後日、角田さんから、原稿料や文字数、締め切りの連絡が来た。

清、早稲田文学に載ったってよ

そこからは、まじで本気出した。当たり前だ。あの角田さんが読んでくれるのである。あの角田さんに呼ばれているのである。
「ああ、やっぱり清に声を掛けるんじゃなかった」そう思われたくない、絶対に見損なわれたくない、書いて書き直して書き直して書き直した。

そして、できた作品が「ほんもの」だ。
早稲田文学のそのページには、冒頭に角田さんからの評があった。

 第6回深大寺短編恋愛小説、審査員特別賞を受賞された清繭子さんの小説は、才能とは何か、本物とはどういうことかを軽やかに切り取って見せた小説です。逃げていく男と逃がすまいとする女を描くのがうまい!

「早稲田文学」2016年夏号

見本誌とともに角田さんからのお手紙までいただいた。
家族じゅう、友達もみんな、買ってくれた。
泣きながら感想を言ってくれた子や、サインを書いてと言ってくれた子、ボールペンをプレゼントしてくれた子もいた。

そして、ある出版社からメールが届いた。

文芸編集者からの執筆依頼

「早稲田文学であなたの作品を読んだ。今、うちでは新人作家を探していて、何作か見せていただけないか。短編をまとめて本にできるかもしれない」

それは、自費出版系でもなんでもなく、名のある文芸出版社からのメールだった。でも、私は自信を持てなかった。なぜなら、メールの宛名が「清繭子」じゃなかったのだ。そこには全然違う苗字があった。

私は、「どなたかとお間違えじゃないでしょうか」と悲しい気持ちで打った。すぐお詫びのメールと、私で間違いないこと、一度会って話したいことが書かれてあった。

その後、お会いしたとき、その方は「ほんもの」をとても丁寧に読み込んで下さって、細かいところまで「ここはこういう伏線なんですよね?」と作品のいいところを見つけてくださった。ありがたかった。

そして、作品を書いたらメールで送り、喫茶店で指導してもらうというのを数回やった。

でも、新しい作品については、全然ダメなようだった。先方が呆れているのが伝わってきて、辛かった。メールの返信もあまりこなくなった。その後、第一子を授かった。

三度目にお会いした時、お腹の膨れた私を見て、「しばらくは育児に専念されたほうがいいですね」とおっしゃった。
見限られたのだなと思った。

こうして振り返ってみると、あまりの幸運な展開に
なぁに少しのダメ出しぐらいで、諦めてんだ!!と思う。
もっとむしゃぶりついて、しがみついて、ストーカーのごとくになろうとも、作品を送り続ければよかった。千載一遇のチャンスをもらったんだから。

でも、最初に宛名が違っていた、そのことがずっと引っかかっていた。
本当は、私が選ばれたわけではないのではないか。
その思いがあって、しがみつけなかった。
早稲田文学に載ったのも、私が偶然、角田さんの知り合いだったことが大きかった。もちろん、角田さんがいいかげんな気持ちで「新人賞のその後」の面々を選ぶわけない、だからそこは信じてもいい、「清ならわりといいものを書くんじゃないか」とは思ってくれたにちがいない。
でもやっぱり、正当なルートじゃなかったことに負い目を感じていた。

小説家になりかけたけど、なれなかった。

そんな自分が今また、「小説家になりたい人」を名乗ってる。
今度、幸運が来た時は、しがみつきたい。
「私だからこの幸運は来たんだ」と思いたい。
だから、賞に応募している。だから、こんな連載をしている。
私の書いたものの力で、私は小説家になりたい。
私の書いたものの力を、今度こそ、私は信じたい。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?