まゆこ

石橋を叩いても簡単には渡らないタイプ。結果、行動が遅い者です。noteを通していろんな…

まゆこ

石橋を叩いても簡単には渡らないタイプ。結果、行動が遅い者です。noteを通していろんな人の想いに触れられたらいいな。主婦目線で、暮らしや家庭の経済のことも考えてみたいです。

最近の記事

「変化の春」から一年

55歳にして発達障害治療薬「ストラテラ」を飲み始め、一年経った。 人生いろいろ。ものの見方も随分変わった。日々の気づきの続出も、ひと通り落ち着いたこの頃である。 このnoteの書き方も、心に思う事だけではなく生活や家計の話題も書きたいなと思い、調べものなどを始めていた。 そして、そろそろ社会生活を取り戻そうと、昔の知り合いに連絡もした。四月からの新年度に、期待をしていた。 だがしかし! この3月に入ったころから、 「やっぱりお前なんかだめじゃん」 という考えに囚われ出し

    • 家計健全化計画の出発点

      今、いのちがある。まずまずの健康体に恵まれている。住むところがある。とりあえず当分食べるだけの現金収入の流れはある。 ——そこを出発点として、一から進む。 老後の不安材料をいちいち数え出したらキリがない。不安な先細りの家計を立て直すためにこそ、将来の不安を数えず、今満たされている事柄に注目する。そこから始める。 しかしそう遠くない将来必ず来る、この世生活の「終わり」を冷静に見据えていたい。 それが、家計健全化への我が家の出発点。 次回は、「家計健全化の到達目標について

      • 家計健全化計画!

        具体的にプランを作成した…訳ではないのですが、わたくし、家計健全化に向けて動き出しました。 中学一年の頃からどうも心身の調子が悪く、 「早く寿命が尽きればいい。さっさとこの世を退場したい」 とずっと思ってきたわたし。 長い病院通いの末に、 「その調子の悪さの根本原因は、あなた自身の特質にあるように思います。悪いところを治すのでなしに、ものの見方が最初から他人と違っている事を自覚すると暮らしやすくなるかも知れませんよ」 そんな言葉をくれた名医が現れた。 私自身の「ものの見え

        • 石橋を、渡ってしまえ!

          目の前に、橋がある。 向こう岸に渡りたい、と願っている自分がいる。 橋のこちら側には無いものが、向こう岸にはあるのだ。 橋は丈夫な石で出来ている。なぜ、この橋を渡れずにいるのか。 慎重すぎるのか。 いや、違う。 ただ、臆病なだけだ。 この橋を渡らずに引き返すか、渡るか。 二の足を踏んでいたけど、やっぱり渡ろう。 渡ると見えてくる景色はどんなか。 向こう岸の街で、何をしようか。

        「変化の春」から一年

          note、やめないぞ。

          note、やめないぞ。

          ある、事業を営む知り合いが、 「メルカリでなんか売ってみなよ。お金とモノの動かし方のチョー基本が体験できるから。店舗がないだけで、やることはお店と同じだよ。行動あるのみ。」 と、教えてくれた。 …う~ん。時間給か工賃としてお金を「もらう」ことしか経験なかったからなあ、わたし。

          ある、事業を営む知り合いが、 「メルカリでなんか売ってみなよ。お金とモノの動かし方のチョー基本が体験できるから。店舗がないだけで、やることはお店と同じだよ。行動あるのみ。」 と、教えてくれた。 …う~ん。時間給か工賃としてお金を「もらう」ことしか経験なかったからなあ、わたし。

          【長めのつぶやき】さっきまでの脳内~元気を出すためのお試し行動~

          「鬱だとか何だとかグズグズ言って、グタグタ過ごしてきたんだもの、ダメダヨ。お前なんかダメだよ。」 ネガティブ思考時の私が頭の中で独り言をいう。…いや、悪魔の声か。 しかし!ポジティブな方の私が言う、 「いや、そんな事はない」。 そこで、この「ふたり」のやりとりを上からみていたもうひとりの私は、スマホを取り出し、YouTubeで「前に進む力」と検索した。 走り方、自己啓発、心理学っぽい動画に混じってGReeeeNの「道」が出てきた。 聴いた。 おう、そうじゃ。行こう!

          【長めのつぶやき】さっきまでの脳内~元気を出すためのお試し行動~

          結婚して20年経つ。で、20年分の家計簿を半日かけてざぁっと眺めてみた。日記より具体的に、過去の出来事がありありと思い出される。暮らしの変化の後ろ盾として、お金の流れがついてまわっていることを痛感した。

          結婚して20年経つ。で、20年分の家計簿を半日かけてざぁっと眺めてみた。日記より具体的に、過去の出来事がありありと思い出される。暮らしの変化の後ろ盾として、お金の流れがついてまわっていることを痛感した。

          変化の春

          病んでいる 誰もやらないような事をやるくせに、誰にでもやれる事がやれない。 私自身の病んだこの状態をどうにかしたい。  そんな風に、思ってきた。 「障害」ですか? この3月はじめ、月に一度の外来診察で春先の不調を訴えた私に、先生は言った、 「ここ半年ほど北澤(私の姓)さんを診てきましたが、今のあなたの調子の悪さは子供の頃から元々持っていた神経発達症からきているものだと思われます。気分や体調の波は、その二次的な問題なのでしょう」。 約30年、自分のことをずっと「病気」と考

          変化の春

          エネルギーを掻き立てる②

          ━つづき━  『仏陀L』『SISTER STRAWBELLY』『猫のテブクロ』『サーカス団パノラマ島へ帰る』『月光蟲』『断罪!断罪!また断罪!』『エリーゼのために』、それから『筋少の大車輪』。1992年当時店に並んでいたアルバムCDは全部購入してみた。  一人ひきこもって聴く曲の数々は、自らの脳内に短い物語や映像作品のようなものを展開させてくれた。想えば、病的鬱状態によりひきこもるという灰色の無限の時間の中で、(自分はこれからどうなっていってしまうのか?との不安を抱えつつも

          エネルギーを掻き立てる②

          1年の歩み

          明日で1年noteというプラットフォームに初めて記事を投稿してから、明日で1年になる。初めての記事では、当時の自分の内面にある「書きたい」という欲求をぽん、とnoteに投げ込んでみた。それまでブログもツイッターも経験がなく、ただ、心の内にある言葉を形に現わして、ネットという社会がどんなところか体験するような気持ちだった。 「どんなつもりで、どんなタイプの記事を書いていくか」そんなビジョンは全く無かった。 ただ、「書いたら何かが変わったり、起こったりするだろうか?」それを試して

          1年の歩み

          30年、我に返ると時代はガラリと変わっていた。~鬱と私とインターネット~

          上の見出し画像を見て欲しい。 5年前、私の頭の中はまさにこんな感じだった。 「ハッ」 うつヌケと、情報社会 長いこと苦しんだ挙句うつヌケしてみたら、約30年経ってしまっていた。鬱の渦中に居たとき、それなりに生きているという自覚はあったが、いざ目覚めて思考が動き出してみると、びっくりすることばっかりだ。世の中のしくみがずいぶん変わっていることに、気づけずにいた自分を見出している。 電車に乗った。裏面磁気の紙切符で自動改札を抜けることは、30年前もできたが、チャージ式のIC

          30年、我に返ると時代はガラリと変わっていた。~鬱と私とインターネット~

          note内不審者

          あれは、職務質問だったのだろうか? だとすると、私は不審者と疑われたのか。今でもはっきりしたことは、わからない。 五年ほど前のことだ。通院のため電車に乗り、隣町の無人駅で降りた。線路をくぐる地下道から駅前のロータリーへでてきたところで、声をかけられた。 ミニパトカーの運転席の窓から、顔だけ出した若い男の制服警察官。顔を上げて見ると、意外にも笑顔だった。 「あのう、自分は最近こちらへ赴任してきて分からないので、伺いたいのですが、この駅は無人駅なんでしょうか?改札口が無いような

          note内不審者

          私は、何のためにnoteを書いているのだろう?

          「私は文章を書きたい。書く場さえ見つければきっと良いのが書けるに違いない。書き始めてしまえば、どんどん気の利いたものが書けるだろう。」 長年、そう思い続けていた。 noteに書いてみて、分かった。そして、当時の自分に言いたい。 「それ、妄想だったんだよ。」 「ただ、書かない自分がいただけだよ。」 実際に何も書いてこなかった。何を書きたいか自分ですら、わかっていなかった。ただ、悶々とした言葉にならない内面のエネルギーのかたまりのようなものが、ぐるぐると魂の中をめぐっていただ

          私は、何のためにnoteを書いているのだろう?

          重症なのか?親子共依存

          やばいかもしれない。 この頃、よく台所でぼーっとしている。そして一人でいる時、自分が「誰でもない・何でもない」不思議な感じがする。 この空間に老いた母が入ってくると、心を覗かれているような、触れてもいないのに肌を撫でられているような、気味悪さを感じる。私の領域が侵害されている。はやくあっちに行ってくれないかな。 「部屋でラジオ聴いてくるね。」 (別に私の諒解とらなくていいからはやく行って!) やっと行った。 少し前までは、「毒親に育てられると自分の欲求が分からなくなります

          重症なのか?親子共依存

          まちがえたっ!(その2)

          昔のはなしになるが、44年前、小4の春のこと。授業前の「朝の会」でクラス担任のとしこ先生が言った。 「今日は警察署から少年団の募集が来ています。入ってみたい人、手を挙げて」 ━━どんな「団」で活動内容が何なのか、細かい説明はほとんど無かったように記憶している。私はすかさず挙手。38人のクラスメイトの中から他に5人の手が挙がった。募集人数はクラスで3名。先生は、じゃんけんで3人に絞るように指示した。 「ダメかな・・・」 しかし、気合を入れて臨んだ。勝者3名が残るまでに、じゃんけ

          まちがえたっ!(その2)