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家計健全化計画!

具体的にプランを作成した…訳ではないのですが、わたくし、家計健全化に向けて動き出しました。



中学一年の頃からどうも心身の調子が悪く、
「早く寿命が尽きればいい。さっさとこの世を退場したい」
とずっと思ってきたわたし。
長い病院通いの末に、
「その調子の悪さの根本原因は、あなた自身の特質にあるように思います。悪いところを治すのでなしに、ものの見方が最初から他人ひとと違っている事を自覚すると暮らしやすくなるかも知れませんよ」
そんな言葉をくれた名医が現れた。

私自身の「ものの見え方」「注目する点」が、世の多くの人達と異なっていて、しぜん無意識にとる行動も他者と違っている。
……私の「当たり前」は他人の常識ではないと。そういうことか?
——それで、いいや。そのままの形で生きてやれ。

そんな風に、ゆるく自身の存在感を肯定できるようになったら、今度は自分の暮らしぶりが気になり出した。
若い時に気を病んで以来、社会との関係をほぼ断って、今年五十五になった。振り返ると「わたし、よく今まで暮らしてこれたよな」と、生活が破綻しなかった運の良さに感謝している。
と共に、浮世から離れて仙人のようだったことに呆れる。お前、霞食って生きてた訳じゃないだろ?と、これまでの自分に言ってやりたい。

とにかく思考は停止し、生ける屍同然で、生活設計を考える意思も意欲も持てなかった。
生活物資の買い出し以外、家からは出ない日々の中で、チクチクチクチクと家計簿だけを付けてきた。
しかし、そんな作業を20年も続けてきたのに、わたしの家計簿は「死んで」いた。
家計を舵取りするための材料として、記帳した情報を活かす思考力が、まったく働いていなかったのである。手元のお金を数えて書いた、紙の束二十年分。これを読んで、家の経済状態をつかみ、節約法や遣い道を考えて、実行する。……などという、創造的かつ意欲的な行動は、全くとれなかった。

…そして!そして!!
現実を見る目が開かれた今、改めて家計簿を通じて見えるのは、
「わたしの老後の家計、このままじゃぶっ倒れるっ!!!」
ってこと。やばい状態なのだ。それだけは分かる。

食べて使って暮らしている、そのお金の流れが今は細々だがある。が、この先どうなっていくのか。中高年三人の我が世帯、家族の寿命は神しか知らない。(長生きも経済的にはリスクだと、池上彰先生の著書に書いてあった)世帯人数が減って収入が変化したらどうなってしまうのか。
虚ろな思考で生きてきて、計画的な貯蓄などはしてこなかった。

が、親はどう葬るのか。墓は持つのか、持たないのか。残る土地家屋をどうするのか。自分の骨と最後の事務処理や手続きを誰に託すのか。それらを如何にするにしても、ついて回るのは経済なのだ。…そもそも、これらの問題に一つ一つ答えを出して実行し終えるまでの、人生の時間がわたしにあるのか。

しかし、今の時点でわたしに突き付けられているのはこの現実なのだ。
先行きの暮らしが危ないという事。
だが、この齢になって健やかさを幾らか取り戻してみると、「いのち」というのも資産のうちなんじゃないか。……と思えるのだ。
生きて命がある以上、何でも思いつく事をやってみないテはない。

そこで、「天国へのお引越し」までの期間、人生の残りの期間をひとつ、悪あがきしてみよう。もうちょっと頑張ろうと思うのだ。



そんな訳でこのnoteも、進む方角を「家計健全化」に向けて舵をきります。これからもよろしくお願いします。


あなたの貴重なお時間で、最後までお読みくださりありがとうございます。