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能力がないことをうまくいかない理由にしていたけど、課題はほぼあり方の問題だったと痛感した日

今朝、私が参加しているオンラインコミュニティ「IMAGINER」https://daisuke-yoshitake.com/imaginer/の仲間内で行われた、
ノブナガhttps://www.facebook.com/nobunaga.5555
主催のオンラインワークショップに参加しました。

このワークショップは、私たちの大切な家族のような存在である
「新米視覚障害者細川亮」https://www.facebook.com/sekaiichiungaii
「見えるかマガジン」という本を使ったものでした。

まず、オンライン会議室Zoomに参加した後、参加者全員が用意していたアイマスクをして、一旦会議から退出し、再度Zoomに入り直してミュートを解除し、画面をオンにするという、視覚を使えば当たり前にできることに3分間のリミットでチャレンジすることから始まりました。

私はすぐにチャレンジを諦めてしまい、3分経つのを待つ姿勢に…。
そんな自分にガッカリしながらも、その感情をしっかりと味わい、
ざわざわしたまま再度Zoomに参加しました。

再びアイマスクをして視界を塞いだ状態で参加し、チェックインの一言を皆でシェアしました。そのシェアを回すのも聴覚が頼りで、誰がまだ話していないか、この声は誰かなどに注力し、心を込めて周りを感じないとできないものでした。

そして、目を塞いだ状態で感じたのは、周りの言葉がけを通して、
その人たちの真心や優しさ、相手への気遣いでした。
いつも感じていたつもりでいましたが、それを当たり前だと思っていたのだと実感し、同時に「あ〜みんな素敵だな〜すばらしい仲間だな〜」と再認識しました。
そして、みんなのような声がけやアプローチをするためには、
相手の目線に立てる素地が必要だと納得しました。

では、相手の目線に本当の意味で立つにはどうしたらいいのでしょうか?
主催のノブや参加者を通じて、現時点での私の仮説を立てました。

それは、「目の前の状況をどう捉え、どう見ているかは自分だけのものだ」と認識することから始まると感じました。

その自覚がないと、自分が感じたことが当たり前、正解、常識だという意識になり、丁寧に相手を感じようとしなくなり、
ひいてはわかるように伝えるという行為をしなくなりがちです。
ちなみに私はこの傾向にあります。
それなりに脱却したと思っていましたが、
未だに「感覚が鈍っている」と自覚しました。うむ、伸び代しかないわ〜。

そして過去に、自分の目線だけで相手の話を聞き、フィードバックして
不快な思いをさせた案件についても、当時は疑問???だけで相手を理解する気持ちも正直なかった自分に気づき、
「ああ、そりゃうまくいくはずはないわね〜」と妙に腑に落ちました。

タイトルにした「能力がないことをうまくいかない理由にしていたけど、課題はほぼあり方の問題だったと痛感した」という経緯を書かせていただきました!

もう、この世の中あらゆるテクニックは出尽くしていて、
「〇〇したら次はこうね〜」みたいなものはある程度認知されていて、
そのテクニックが功を奏すのは限られた人だと私は感じます。

本当に大切なのは、「あなたから聴きたい」と思わせる
滲み出る人間力、人格です。
私は道の途中。
そのそばにはいつも愛おしい家族のような存在がいてくれて
彼ら彼女らが図らずとも、そのあり方で多くを教えてくれます

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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