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東京お散歩日記#6(乃木坂②)

お散歩日記 (乃木坂②国立新美術館『古典×現代2020』)

・・・8月◇日 晴れ ・・・
❀前頁(乃木坂①銀座ウエスト青山ガーデン)からの続きです。

国立新美術館に行くのもそういえばコロナ後はじめてのことで久しぶりだ。
今回みにいく『古典×現代2020 時空を超える日本のアート』もコロナの影響で当初の予定日から延期になった展覧会で、このまま中止になったらイヤだなあと思っていたので、無事開催されてうれしいかぎり。

15分間隔での入場となっているので、予約時間にあわせて会場に向かう。
向かいながら、今回の会場も2階だなあ、と思ったのは、国立新美術館はオープン当初から気になるものがあるとちょくちょく訪れているのだけれど、なぜか自分の行くものは2階での展示が多いからだ。たぶん、現代美術が好きなので(好きなだけで造詣はまるでないですが…)、それをみにいく機会が多いからなのかもしれない。

けれど今回の展覧会はタイトルのとおり、現代美術に限ったものではなく、現代の美術作品と古(いにしえ)の美術作品をペアにして並べて展示するというものなので、なかなか興味深くておもしろそうだ。

というわけで、会場に入って見た色々、感じた色々を、以下に展示順につづっていきたい。※展示作品の内容のほか、映像作品の内容についてもふれています。

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❀仙厓×菅 木志雄❀

入って最初の部屋には、ごつっとした自然のままの小さな岩が、大きな四角い枠をつくるように床にいくつも並べられていた。天井から紐でつるされた岩があったり、ステンレス板で丸く囲ったスペースのなかにも岩が並んでいたり、流木なんかも置かれてある。これは菅 木志雄(すが きしお)さんのインスタレーション。広い空間に余白をたっぷりとって、丸、三角、四角をかたちづくるそれらの作品が展示されてあった。

自然界のものがそのまま会場の床に移動し、置かれていると、なんだか不思議な気持ちになってくる。たとえば演劇において、舞台と客席の間にみえない境界線がひかれているみたいに、すぐそこにありながらも、そこだけ違う空間が出現しているみたいでおもしろい。

そしてこの作品のペアとなる仙厓(せんがい)の『円相図』はどこにあるのかな、と思って探してみると、広い部屋の奥の壁に展示されていて、そんなに大きな作品ではないので、「おお!ここにあったのね!」となんとも控えめな様子に感じられる。『円相図』は墨で円を描いたシンプルなもので、「これ食べてお茶のんでね」といった内容の言葉も添えられていて、どうやら悟りを表す円をお饅頭に見立てているらしい。なんともほのぼのとした筆致で、この展覧会のスタートを見守ってくれているように思えてしまった。

❀花鳥画×川内倫子❀

次の部屋に進むと、花鳥画と川内倫子(かわうち りんこ)さんの写真が展示されてあった。

花や鳥や虫たちが描かれている花鳥画は色合い美しく、どれも緻密に繊細に描かれていて、作者の自然に対する愛情が感じられる。川内倫子さんの写真に関しても自然のなかの生き物の一瞬をまばゆい光のなかで映しているようで、こちらもやはり美しい。けれど、川内さんの作品はときに「生」と「死」を同時に感じるものもあり、ドキっとさせられることも多い。もし仮に自分の瞳でじかにそれらを眺めたら、グロテスクに感じたり、あるいは残酷に感じたりするかもしれないものが、川内倫子さんの写真を通して眺めるとそれらは静けさのなかに見る命の美しさ、あるいは、はかなさとして自分の瞳に映りなおすように思う。みていると、なんだかドキドキする。感動のドキドキなのか、繊細な感覚を刺激される不安からのドキドキなのかー。よく分からないけれども、このとき感じるドキドキは決して嫌な感覚ではなかった。

そしてその先、奥の部屋では川内倫子さんの映像作品が流れていた。川内倫子さんの映像作品をみるのは今回が初めてだ。
みんな真剣に見入っている。そのなかに混じって、自分も映像を眺める。

まずは火花の映像。
真っ赤な液体を大きな柄杓のようなものですくっては空中に投げ、無数の火花が散りゆく映像が流れている。闇のなか、火の粉が土砂降りの雨のように降り注いでいる。空中に勢いよく投げつけられた液体は壁にぶつかり、火花となって、激しく舞っては散っていく。みているうち、自分の無駄な思考のあれこれも火の粉に焼かれて消えていくように、頭のなかが空っぽになってくる感じがする。

次に映像が切り替わり、鳥の大群が山間を飛んでいく映像になる。黒いゴマ粒のような鳥たちが、筆で墨画を描くようにうねりながら空を飛んでいく。淡くくすんだ水色の空のなか、無数の鳥たちが飛んでいる。空の色のせいなのか、鳥なのに、途中、水の中を泳いでいるようにもみえる。映像がズームアウトして、さらに鳥たちが小さな黒い点々のかたまりになって飛んでいく。そしてそれらは散るようにこちらに向かってやってきて、てんでばらばらに飛んでいく。そのさまは、最初にみた火の粉の映像のせいか、焼かれて飛んでいく灰みたいにもみえる。ずっとみていると、頭のなかが空っぽになっていくような、「無」になるような感覚になった。

❀円空×棚田康司❀

次の部屋には円空(えんくう)の仏像と、棚田康司(たなだこうじ)さんの彫刻が並んでいた。どちらの作品も一本の木から像を掘り出す「一木造り」と呼ばれる技法でつくられているらしい。

木立のなか、一本一本の木の前で立ち止まっては木に語りかけるように、それぞれの作品の前で立ち止まっては眺めていく。

円空の作品のなかで特にじっと足をとめたのは、『護法神立像』という二体の像だ。二メートルほどの高さがあり、ガラスケースのなかに収められている。「丸太を半分に割ったものをさらに断ち割って二体の像になった」と説明にあるとおり、横から眺めるとたしかに後ろ姿は絶壁垂直で、足元は木の自然のままの状態が残っている。お顔立ちが特徴的で、目は切れ長にすっと吊り上がり、口元はいわゆる「アヒル口」並みに口角がクイッと上がって微笑んでいる。一体は顔がやけに大きくて丸く、もう一体は顔が小さくてちょっと四角く、こんなお笑いコンビいそうだなあ、なんて思ってしまう。二体の像は、ちょっと強面だけれど優しい人、そんな感じがして、人間が小さなことで悩んでいでも、「おやまあ、そんなことで悩むのか」と面白可笑しく見守られているような感じがして、しばらくじっと向き合ってしまった。

そして棚田康司さんの少年少女の彫刻は、みていてとても不思議な気持ちになった。なかでも特に惹かれた彫刻は二体あって、ひとつは『鏡の少女』、もうひとつは『つづら折りの少女』だ。

『鏡の少女』は樟(くすのき)の一木造りに彩色をしたもので、丸テーブルのようなものの上に少女の上半身があり、テーブルの下には突き出た足がぶらんと下がっているようなかたちの彫刻だ。

形のよいおでこをだした長い髪の少女は、ちょっとうつむき加減で、テーブルのうえに両肘をついて、両指を組み、小さな手鏡を持っている。木だけれど肌は本当に人間の肌のようで、頬はほんのりピンク色に、くちびるは口紅を塗ったように薄紅色の彩色がなされ、生々しさもある。ぶらんと下がる二本の緑色の足はタイツをはいているように見えて、なんともかたちからして不思議な彫刻である。小さな鏡がこちら側に向いていたので、気になってのぞいてみたら、不思議そうな顔をしている間抜けな顔の自分が映った。

この少女(というにはちょっと大人びてみえるけれど)としばし向き合い、次に横にまわって横顔をしばし眺めていると、なんだか怖くなった。思わず「すみません、あの…、生きてますよね?」と問いかけたくなるほどに、少女が生きている感じがした。生身の人間から感じる温度のような、雰囲気のようなものが不思議と伝わってくるのだ。それでちょっと怖気ついてしまい、いったんそこから離れ、ほかの作品をみに行った。

『つづら折りの少女』。これも強く惹かれた作品だ。
こちらも樟材の一木造りの彫刻で、優しい色合いをしている。
おかっぱヘアスタイルの少女が、なにか考え事をしているのか、あるいはただぼんやりしているのか、すこし首を傾けている。下がり眉で、ちょっと伏し目がちで、優しい表情を浮かべているように見えるけれど、角度を変えて眺めると、ちょっと悲しそうな表情にも見える。

タイトルにある「つづら折り」とは、幾重にも折り重なって続く坂道のことをあらわす言葉で、おそらく胴体部分のことを指しているのだろうな、と思う。彼女を包んでいるワンピースのようなものに柔らかそうな襞(ひだ)がいくつも入っていて、それらがくねくねっと幾重にも折り重なっているように見えるので、たぶんそうなのかな、と思うけれども、はたして。

それにしても、この少女にしても、やっぱり生きているな、なんて思ってしまう。でも面白いと思うのは、さきほどの『鏡の少女』から感じたものとは違う種類の雰囲気のようなものを彼女からは感じるのだ。言葉にするなら、まるくて、柔らかくて、穏やかな淡いピンク色みたいな空気感。対して『鏡の少女』から感じたのは、凛としたような、もっとくっきりとした空気感。このふたり、性格違うだろうなあ、なんて勝手に想像してしまう。(あくまで自分の思い込みですが…)

単純にかたちや色合いといった見た目からの判断だけではなくて、作品自体からこうしたエネルギーみたいなものを感じるのはきっと、実際に彫刻自体がなにかを発しているのだろうなと思う。それは「木」そのものの生命力なのか、作者が作品に対してこめた思いなのか、はたまた、たくさんの人にみられるなかでそこになにかが宿るのか―。よく分からないけれども、いずれにしてもとても魅力的な彫刻たちで、みていてとても興味深かった。

❀刀剣×鴻池朋子❀

続いて次の部屋で展示されていたのは、刀剣と鴻池朋子(こうのういけともこ)さんの作品だ。入ってすぐ、目を見張る。

牛の皮を縫い合わせたという巨大な皮緞帳(かわどんちょう)が、展示スペースいっぱいに広がるように展示されている。よく見ると、そこには蛇やカエルやテントウムシ、きつねやリスやうさぎなどの動物たちと自然の風景が色鮮やかに描かれていて、全体的に迫力満点だ。もともとは一枚だった作品を今回真ん中で裁断したとのことで、その切り裂かれたあいだを生首のような銀色の振り子が前後に大きく揺れていて、静けさのなか、振り子が鳴らす、カチ、カチ、という規則的な音だけが妙に耳に響いた。

そして刀剣の方はどれもケースのなかで展示されていて、正直、刀にはまるで興味はなかったけれど、こうして眺めてみるととても美しく輝いていて、芸術品なのだなあと思った。とはいえ本来は武器、切るためのもの、と考えると、裁断された皮緞帳ともつながるように思えて、若干の血なまぐさい感じと、怖さも感じた。

❀仏像×田根剛❀

次の部屋は、ちょっと特別な空間だった。
仏像×田根剛(たねつよし)さんの生み出す世界だ。

部屋はカーテンで仕切られていて、入ろうとすると係の人が「そろそろ暗くなります」と教えてくれた。なかに入ると仏像がちょっと見えたけれどもすぐに暗くなってきて、鼻を摘まれても分からないほどの真っ暗闇になってしまった。そしてそんな暗闇のなか、聞こえてきたのはゆったりとした旋律のお経だ。途中、おりんの音も響いている。

しばらくすると、小さな橙色の明かりがいくつも蛍のように降りてきて、その明かりがゆっくりと上下し、仏像が照らし出されていく。次第に見えてきたのは二体の菩薩立像。日光菩薩と月光菩薩だ。明かりは次第に強く、大きくなってくる。まるでいくつもの魂が菩薩様のまわりで揺れているようにも見える。やがて明かりは全体に広がり、菩薩立像の姿が完全にあらわになる。月の光から日の光に徐々に移ろっていくように、明るさはゆるやかに変化していく。

何人もの人たちが同じ空間にいたけれど、皆一様に、祈るように菩薩様を眺めていた。人によっては神社仏閣を訪ねたときのように、自分の内と向き合うような感覚になっていた人もいたのかもしれない。そんな独特な空気が部屋全体に流れていた。

ほんの束の間ではあったけれど、祈りと光の空間で心が洗われたような気分になり、頭がぼーっとしながら外の世界に戻る。

❀葛飾北斎×しりあがり寿❀

次は今回とてもたのしみにしていた組み合わせ、葛飾北斎(かつしかほくさい)としりあがり寿(ことぶき)さんの展示だ。

北斎のあの有名な『冨嶽三十六景』を、しりあがり寿さんがなんとパロディしたらしい。その名も『ちょっと可笑しなほぼ三十六景』。作品は通路の壁をつかって展示されてあり、北斎の「三十六景」、そのとなりにしりあがり寿さんの「ほぼ三十六景」が並ぶかたちで展示されてあった。

今までの展示室と異なり、ここでは「くすっ」とした笑い声があちらこちらから聞こえていた。みんな興味津々に見比べながら、たのしんでいる様子。自分も同じくそれに混じって、興味津々、作品をじっくり眺めていった。

たとえば有名な赤富士を描いた『凱風快晴』は、裾野にカミソリをあてた富士『髭剃り富士』になっていた。裾野の点々とした木々の部分が、アゴヒゲのジョリジョリした部分みたいにみえる。

『隅田川関屋の里』という、武士が馬に乗って駆けていく様子を描いた躍動感あふれる絵は、武士を乗せていた馬たちがすべてメリーゴーランドの馬に代わり、『メリーゴーランドからの逃走』という名の絵にパロディされていた。メリーゴーランドの馬が逃走しちゃうっていうのがいいよね!、とひとりニヤニヤ。逃走したおうまの胴体にはハートが描かれている子もいて、ちょっぴりキュートにみえた。

また『東海道金谷ノ不二』という、たくさんの人が荷物を担ぎながら大きな川を渡っていく様子を描いた絵は、たくさんの人が川でシンクロナイズドスイミングをしているポップな絵に、『武州玉川』という玉川とその向こうに見える富士を描いた絵は、富士にかかる雲のようなものをテレビのノイズに見立てて、昔懐かしのテレビ『ポンコツテレビ』という作品にパロディされていた。ポンコツテレビって!と、ここでもくすくす。

ほかにも、というか、どれもが「くすっ」と笑いたくなるユーモアあふれる作品で、しりあがり寿さんの発想力の豊かさにびっくりさせられる。と同時に、パロディを通して北斎の絵の素晴らしさを再確認することもでき、どちらに対しても、すごいなあ、と心から思った。

そして三十六景をたのしんだあとは、こちらもたのしみにしていたヴィデオ・インスタレーション「―葛飾北斎―天地創造 from 四畳半」だ。北斎へのオマージュで制作されたらしいこの映像作品は、ゆるいタッチの映像ということで、しりあがり寿さんいわく「ゆるめ~しょん」というものらしい。

展示室の壁の中央に映像が映し出される。
小さな四畳半の部屋のなか、布団で寝ている北斎の姿。やがて布団から這い出てきた北斎は絵を描きはじめる。何枚も何枚も。それらの絵が次第に四畳半におさまりきらないほどの量になって、そしてー。
ここからダイナミックに、北斎が四畳半から飛び出し、ダンスをしながら富士山などの絵を描きまくっていく。エリックサティの「ジュ・トゥ・ヴー」の優しく軽やかなメロディーに合わせ踊って踊って、そして展示室の壁いっぱいに北斎の描いた絵の断片が次々に流れていく。途中、なぜかおやじダンサーズみたいな人があらわれたり、北斎の顔が色んな顔に変化しちゃったりと、こちらもユーモアたっぷりで迫力もあり、ずっと釘付け状態でみてしまった。

ちなみに北斎は本当に四畳半くらいのところでずっと絵を描いていたとのことで、そこからあれだけの作品を生み出していたのか!と思うと、想像力や創作力は案外、居る場所の大きさに反比例するものなのかなあ、なんてことも思ったりした(そういえばトイレや浴室でアイディアが浮かぶという人も多いというし)。

❀尾形乾山×皆川明❀

次の部屋は入ったとたん、かわいい、と思った。
尾形乾山(おがたけんざん)と皆川明(みながわあきら)さんの展示だ。

天井から大きな盥(たらい)を逆さまにしたような、ミナペルホネンの円筒形のシェードがいくつも吊り下がっている。その下で、乾山の陶器がガラスケースのなかで展示されてあった。

大きく存在感を放つミナペルホネンのテキスタイルの下で、乾山の陶器もまた静かにその存在の美しさを放っていた。

乾山も皆川明さんも、自然から着想を得たモティーフやデザインという共通項があり、眺めていると、不思議とミナペルホネンの世界と乾山の世界が調和してくるような感じがする。乾山のお花をかたどった陶器や、温かみのある色合いの器が、ミナペルホネンの優しい世界と共鳴しているような。

敷き詰めたミナペルホネンの色とりどりの端切れのうえに、乾山の陶器の欠片等を展示したコーナーもあり、眺めていると、端切れや欠片であっても、それらに対しての愛情があれば、次の作品を生み出すための用土にもなるし、集めればまた新たな作品として息を吹き返すんだなあ、ということを感じることもでき、こちらも印象的で素敵な展示だった。

❀曾我蕭白×横尾忠則❀

そして次がこの展覧会、最後の部屋となる。曾我蕭白(そがしょうはく)と横尾忠則(よこおただのり)さんの作品だ。

今までの部屋と異なり、ここでは墨画と絵画といった平面作品のみが展示されていて、部屋の壁、四面の半々ずつを、蕭白と横尾さんの作品で分け合っていた。

蕭白のセピア色の緻密な墨画に対し、横尾忠則さんの絵画はとても色鮮やかで大胆だった。不可思議に感じる絵もあり、なんだかみていておもしろい。表現に対して臆することなく自由に描かれているようにみえて、でもそれぞれオマージュとして(あるいは横尾忠則さんの説明によると作品によっては悪意あるオマージュとして)意味が込められているようで、首をひねりながらも、その意味を探りながら作品鑑賞をたのしんだ。

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会場をあとにし、よかったなあ、と改めて思った。 
想像していた以上に盛沢山の展示内容で、終了ぎりぎりではあったけれど、駆け込みでみることができて本当によかった。
今回「古典×現代」という試みだったけれど、鑑賞しているときはどちらも「今、目の前にある作品」として向き合っているので、時代の違う作品が並んでいることに対して意外と違和感を抱くこともなかった。タイトルの副題にあったとおり、「時空を超えるアート」といった感じで、現代と古の共演をたのしませてもらった感じがする。

最近、日々のなかでウツウツするようなときもあったけれど、見終わったあとは不思議と元気がチャージされていて、単純だけれど、時代に関係なくアートの持つ力ってすごい!と思った。

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エスカレーターをおりて1階に戻ると、コロナ対策のため以前より席数を減らしたカフェでお茶や軽食をたのしんでいる人たちの姿がちらほらあった。波のような美しい曲線を描いたガラスのカーテンウォールから注がれる自然光で、館内はほどよい明るさで落ち着いている。一人掛け用の椅子が並ぶ休憩コーナーでは、くつろいでいる人たちもたくさんいて、美術館特有の静かで穏やかな時間が流れていた。

最後に地下にあるミュージアムショップをうろつき、お相撲さんがフラフープしているイラストのクリアファイルを見つけてひとつ購入。満足した気持ちで足取り軽く美術館をでると、外はまだまだ暑く、見上げれば真夏のような青空が広がっていた。

◇◇◇ 今日のお散歩写真② ◇◇◇

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国立新美術館の西入口の方から入館します

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波のようにうねるガラスカーテンウォールが美しい

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なかは自然光で明るく、そして静か

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展示室に行く前に再び正面口から外に出て、外観を眺めました

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設計を手掛けたのは黒川紀章さん

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「森の中の美術館」をコンセプトに設計されたとのことで、
まわりには木々の緑がたくさんあります

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正面入口すぐのところでは吉岡徳仁さんの「ガラスの茶室 - 光庵」が
特別公開されていました 透明なガラスがとても涼し気です

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向こうには六本木ヒルズがみえました
(ちなみにここから歩いてすぐの施設は東京ミッドタウン)

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今回の展示室は2階、吹き抜けになっているので下をのぞいてみました 
コロナ対策でカフェコキーユの席数がだいぶ減っているのが分かります

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2階からみたガラスカーテンウォール

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今回の展覧会では刀剣×鴻池朋子さんの展示のみ、
指定の場所からの撮影が可能となっていました

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鮮やかな色彩の迫力ある皮緞帳(あいだに小さく振り子も)

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すべてを鑑賞後、展示室を出て、ふたたび1階に戻ります

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地下1階にさらにおりて、
ミュージアムショップ「スーベニア フロム トーキョー」へ

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ちなみに1階正面入口にも小さなミュージアムショップがあります

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美術館を出るまえに館内を再度眺め、しつこく建物の雰囲気を満喫

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外に出ると日差しはまだまだ強く、
青い空に白い雲が浮かんでいました

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今回の展覧会のチラシと作品リスト

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左が『乾山×皆川明』、右が『北斎×しりあがり寿』の作品です

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ミュージアムショップで購入した「おはぎやま」のクリアファイル

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ゆるかわ♡ですが、さっそく書類入れにガシガシ使っています

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最後にチラシのアップ ほぼ三十六景の『髭剃り富士』です

◇◇◇◇◇◇

お読みいただきありがとうございます。