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強く生きろ、今日も可愛いよ。


最近洋楽にハマっていて、セレーナゴメスのwho saysを聞いていて思った。

もしかしてわたしって、世界一可愛いのではないか。

自己肯定感馬鹿高い思考である。
今日は、そんなお話。

誰が私を可愛くないと言ったの?誰がそんなことを決めたの?それを決めるのは私自身じゃないの?

先ほど話したセレーナの曲を聴いていて思った。
私は胸を張って世界一私が強くて可愛くて最強で最高の女だと私に言ってやらねばならない。
そのためには何をしたらいいんだろう?

私は元々自分のことが嫌いで嫌いで仕方がなかった。運動ができない、痩せてない、可愛くもない、頭だって飛び抜けて良くもない。
小学校の時はよくいじめられるような子で、学年の女帝みたいな子とその手下に持ち物を隠されたり陰口を言われたりした。
好きな人にバラされてこっぴどく振られたことさえある。(それが私の奥手の始まり^_−☆)
今はクソ野郎だなと笑ってやれる話だが、当時の私は自分に自信も何もなく、そうなんだと受け止めて傷つくしかなかった。

自信をつけねば。そのためには私であることを誇れる生き方をするべきだと思った。
例えば何かを一生懸命頑張ってみたりとか、色んなところに行ってみるだとか。
テストを手抜きしている私も可愛いけど、輝いていないと思った。これでは誇れない。
どうせなら世界一輝いていて世界一可愛くありたい。努力する人が1番輝いているのは知っている。
ダサいだとかブスだとかなんだとかは言わせてやらないのである。
だって大前提として、私の可愛いは私が決めるからだ。頑張ってる私も可愛くなりたいと思う私も可愛いとさえ思う。
私の体や心は私の絶対王政なんだから、私の自由である。全部私が決めてやる。何も言わせてやるものか。ガハハハハ。

前を向け!今日も君は可愛い!

ブスだとかデカだとかデブだとか色んなことを言われてきたが正直今はそんなに気にしていない。
自分で自分のことを認めてあげましょうみたいな綺麗事が言いたいわけじゃない。
そもそも認めるってなんだよ。私が最強に可愛いのは事実なんだから認めるも何もないだろ。
なんで100カラットのダイヤを見てこれは価値がある物ですねと言わなければならないのだ。周知の事実であろう。
私が言いたいのは私の思うままに超絶わがままに生きてやれと言う話である。
私の可愛いは私が決めるし、別に理解だって求めてない。私の完全なる自己満足で良い。
体型だってこのもちもちマシュマロ長身ボディの可愛さを理解できないなんて可哀想な奴めとさえ思っている。
私は私のために私の思う可愛いを身にまとって武装するのである。それは胸を張って前を向いて生きるためで、誰かに可愛いと思われるためではない。
私の可愛いは、私が思えば十分である。

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