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きれいな孤独

母が、私たち兄妹に最も伝えたかったことは、「孤独について」だと確信するほどに、幼い時から口を酸っぱくして「人間は孤独なもの」と繰り返し教え込まれました。

人はみんな孤独なのだ。
孤独であることは怖くない。
人生で出会う友達は、そんなに多くないのだから、できなくても、うまくいかなくても気にすることはない。
ひとりの時間を楽しみなさい。
孤独に自信をもちなさい。
一人でも平気な人間になりなさい・・・などなど。
おそらく、「孤独」を飼いならすことが、この長い人生を生き抜くキーポイントであると。
母は、高校の保健室の先生でもありました。
長年、高校生の悩みに心を傾け、寄り添ってきた母が、日頃感じ、そしたまた、自らの人生で学び取ったことなのでしょう。

そして、本当にその通りだと、成長するにつれ痛感しました。
母とは別のところでも、孤独が鍵だということを、何度も思い知らされました。

たとえば、学生時代、個人店で接客のアルバイトを始めたときのこと。
アルバイトの初日に、オーナーからこんなことを言われました。

「きれいな孤独をもっていそうだったから、あなたを雇うことに決めたのよ。」

まだまだ、おぼこく青臭い田舎娘。
無論、そんなたいそうなもの持ち合わせてはいませんでしたが、
「きれいな孤独」という言葉が気に入って、素直にうれしかったのを覚えています。
きれいな孤独が、どんなものかは、はっきりとわかりませんでしたが、
孤独を楽しむこと、孤独に自信をもつこと。
一方で、強がらずにさみしさをきちんと自分で噛みしめて、やっかまないことかなと、その日から「きれいな孤独」をもてるよう、目標にして生きてきました。

また別のところでは、大好きな詩人・高田敏子さんの言葉に出会いました。

“生前、母が言っていた言葉を思い出す。
「淋しさを大切にしなさい。
慈しみなさい」と。淋しさを楽しさに変えてゆくこと。
淋しさを愛することで、何かを創り出すエネルギーが生まれるのだ。詩も
音楽も、絵も、花を飾ることも、愛をはぐくむことも。”

娘である、シューズデザイナーの高田喜佐さんの著書を読み、この言葉に出会ってからというもの、私はさみしいときこそ、それをエネルギーに変えて、文章を書いたり、料理を作ったりするようになりました。
お、今、とってもさみしいぞ、これはチャンスだ!と孤独を喜びに変換して。

そして、前野健太さんの歌からも学びました。

「僕のこと少しわかった
君がいなければ一人にもなれないってこと
君がいなければ一人にもなれないんだってことが」
(前野健太「さみしいだけ」から「とんこつラーメンくさい街」より)

孤独やさみしさを感じることができることにも、感謝しなくてはいけないのだと知りました。
だからこそ、だれかとすごす時間を大切に慈しみたいと思えるようにもなりました。孤独が教えてくれたことです。

孤独は、力になり、そしてたくさんのことを教えてくれる存在でもあります。

まだまだ精進の道は続きますが、
「きれいな孤独」を纏えるような人を目指してゆきたいと思います。

麻佑子

#8月31日の夜に #エッセイ #日記 #孤独

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