見出し画像

母は子を産むことができるので、父の気持ちわからず。父もまた母の気持ちわからず。

泣いてるのに、
平気で寝てる、
見ててっていってるのに、
見てるよといって、
スマホいじってる、
1秒でも早く帰ってきてほしいのに、
わりとゆったり帰ってくる…

殺意を覚えたという、
友人たちから採取したエピソードの数々。

女は新幹線の速度で母になって行くけれど、男は、徒歩で父になっていく。
という例えを聞いたことがある。

一般的に考えれば、
女性は身体的な感覚を通して、
まさに子を産み、乳を与え、ほとんど24時間一緒にいるのだから、
母親としての自覚が早々に芽生えるに違いないと思われがちである。
そして、実際そうかもしれない。

だから、
男性の側からしてみれば、
どんなにがんばっても、
所詮「やはりお母さんにはかなわない」
ということになってしまうのだと思う。

しかし、実際のところ、
こちらの方とて、想像される通りに、
一足飛びに〝母〟になれる訳ではない。

産まれた瞬間、
“うれしさで痛みなんか吹き飛ぶ”
ことは無かった。
むしろ、終わった…おつかれ!という
案外冷静な幕開けだった。

授乳でスキンシップが多いといっても、
自然とわいてくるものを、
必死で与えているだけ。
むしろ、痛みによる苦痛で、
愛情どころではなかった。

一緒にいる時間が長いといっても、
そうせざるを得ないのが
自然の成り行きで、
むしろ、同じ時間を過ごしすぎて、
小さな事に感動できるのは、
父親のほうである。

もうすぐ6ヶ月になる息子は、
最近ようやく表情が豊かになり、
意思の疎通というか、
コミュニケーションのはじまりを感じられるようになってきた。

ようやく
ただただ必死!の段階から、
かわいい!と
思える場面が増えてきた
というのが母の本音だ。

と、正直に心の内を明かしたって、
結局、とはいえ母親の方が〜
という結論に戻ってしまう気がする。

仕方がない。
だって、母親は子を産むことができるのだから。
そして、父親は子を産めないのだから。

だとすれば、
どう心の内を暴露したって、
父には母の本音が伝わらないだろう。

と、同時に、
我々母親も、子が産めない父の気持ちはわからないのである。


先日、
夫に息子を見ていてもらっているすきに、入浴していたときのこと。

風呂から上がると、
「今ね、抱っこしてちょっとだけ手を離してまた抱っこしたら、けらけら笑ってくれた!すごいうれしかった!」
と興奮気味に教えてくれた。

私は、へぇーっと驚いた。

けらけら笑った事にではなく、
そんな小さな、
こちらにとっては当たり前のような出来事で、
目尻が下がるくらいうれしいのか、と。

またある時は、息子を抱っこして、
「ねぇねぇ、俺に、顔、そっくりじゃない!?」
と、にやにやしながら鏡の前に立っていた。

おお…
そうだね、と軽めの返事をして、
私は気がついた。

そうか、
そうやって父親になっていくんだな。

どんなに説明したって、
父が母の絶対性を疑わないのと同時に、
私たちも、子どもとのつながりを身体を通して持つことのできなかった、
父親の気持ちを理解することはできないのだ。

私たちには理解できない、
小さなちいさな出来事の積み重ねを経て、彼らは父になっていく。

私たちが
慣れすぎて鈍感になって
見落としがちな
小さな喜びを
見つけて、
慈しむ姿が愛おしい。

殺意を愛おしさに変えてみる。

身体の仕組み上、
お互いに理解できないのだから。

そして、
私たちもまた、
母になりきれていない胸のうちを
そっと伝えてみる。

親になってゆくスピード、
おんなじなんだよ、
ほんの少し早いかもしれないけど。

一緒にがんばろうよって。

麻佑子

#日記 #エッセイ #子育て #育児 #夫婦



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?