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変わる映画を観る視点。

妊娠してからというもの、映画館から足が遠のいているので、最近は、もっぱらレンタルDVDにお世話になっている。
見たいと思った映画のレンタル開始を待つ日々。

先日、周りの女性たちが、こぞって良いと話していた「君の名前で僕を呼んで」を借りてきた。

物語のあらすじは、すでに知っていたし、心に響くポイントも、何と無く予想はしていた。17歳のイタリア人と、24歳のアメリカ人の青年のひと夏の恋のお話。映画のヴィジュアルから察するに、若さ、痛み、やり切れなさ、儚さ、美しさ、眩暈・・・そんなものを自分の記憶のどこかにある思い出と結びつけて、胸を苦しくさせるのだろう。
もしくは、北イタリアのカラッとした夏の光の眩しさに目を細め、異国の物語に旅情をかきたてられるか、そんなところだろう。
見る前からそんなことを言葉にしてしまうのは、味気ないし、さみしい。でも、潜在意識のなかではいつも、映画を見るときにそんな期待をもっているように思う。

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時々目を覚ます息子をあやしながら、とぎれとぎれに映画を観終わった後。
いつものように、感想をぽつりぽつりと語りだした時のこと。主人公のエリオに、両親が本の引用を聞かせるシーンの感想を夫に話していたら、「よく気がついたね。」と言われて、はっと気がついた。
自分の予想は裏切られている。

私が終始、物語の中で自分をおいていた場所は、主人公たちの恋の行方や心の動きではなく、母親であるアネラと父・パールマン教授の眼差しだった。
こういうと、この映画を観た人には、おそらくラストシーンの父親の語りの事だと思われるかもしれないが、少し違う。逆に、その時、父が語った、「痛みから逃れるな」という言葉に、きっと過去の自分のあきらめてきた恋の辛さを重ねてじーんとするのかと予想していたが、そこではない。

一人息子の初体験を応援する、オープンな父の姿。
息子の嗜好を察知し、静かに、かつ、さりげなく橋渡しする、母のクールな態度。
ソファにかけ、ふたりの間に息子の身体を預けさせながら、本の引用を用いて、いつでもカミングアウトを受け入れる準備はできているよ、と暗に知らせるシーン。美しくて、大人で、まるでお手本のようで、ため息が出た。
息子がきっと喜ぶからと、ふたりの旅行を企てる母の、屈託のない可愛らしさと言ったら!
ラストシーン、オリヴァーからの電話に、これぞイタリア、というくらい(勝手な思い込みですが)全力で、心から祝福をするふたりも、受話器を置いた後で、息子とオリヴァーの心中を想い、顔を見合わせるふたりも、嘘がなくて大好きだった。
オリヴァーも、エリオに、良い親をもって、幸運だったと。
私も、そう思う、と強く頷いた。
これは、親の愛の映画だ、と私は感じた。

「もしもエリオが自分の息子だったら?ここまでさりげなく、くったくなく心から思えるかな。」
「俺はお節介やいちゃうかもな。」
「お父さんとお母さんが、いつもチャーミングで仲良しなのも良いんだよね、きっと。息子を受け入れる土台がちゃんとできてるからいいんだよね。」
夫と、親の目線での感想を語り合った。
恋の痛みや儚さに心をつかまれるところからは、もう一段、階段を登ってしまったんだなという、一抹の寂しさを感じながら。

子どもをもつ母になった私は、映画を観る視点も変わってしまったのだと知った夜。こんな親になりたいなぁと思える、理想の姿に出会えて、得をした気分だ。
そして、何度も見返したお気に入りの映画を、今見たらどうなるかな、と実験心にも火がついた。
秋の夜長の映画鑑賞が、いっそう楽しみになってゆく。

麻佑子

#日記 #エッセイ #育児 #子育て #映画

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