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わがままな母に会いたい

母には、もっとわがままでいてほしかった。

キャリアウーマンのはしりで、晩婚のはしり。
38歳で私を産んだ母はよく、
「私は自分の人生を思う存分楽しんだから、あとは子どもたちに全て捧げる。」と口にしていた。

例えばレストランでのこと。
私と兄がどれを頼もうか迷っていると、「お母さんがこっち頼んであげる。そしたら両方食べられるでしょ。」と言って、いつも子どもたちが食べたいものを注文してくれた。
幼い頃は、素直にうれしかったけれど、少し大きくなると、違和感というか居心地の悪さを感じ、同じように、両方食べなさい、と言われても、「いいから、自分の好きなもの頼みなよ。」と断るようになった。
お母さんが好きなものを、美味しそうにほおばる姿を見たかった。

例えば、母の日や誕生日。
日頃の感謝の気持ちを込めて、みんなでお祝いしたかったけれど、「その日だけ特別に祝われてもうれしくないから。」と、自分が主役になるのを頑なに拒んだ。それでも無理やりお祝いすると、申し訳なさそうにするのが常だった。
お母さんの欲しいものが知りたかった。それを贈って、屈託なく喜ぶ顔が見たかった。

母は団塊の世代だ。
仕事にも子育てにも全力。とにかく尽くす。
今は老老介護の只中で、自分の両親を看取り、義理の母の介護に追われている。
気晴らしに旅行に行こうと誘っても、「おばあちゃんがいるから」「旅行に行くのは面倒」「家が一番」と、つれない返事が返ってくる。

もちろん感謝している。
過多ともいえる愛情を浴びるようにいただいた。
しっかり者の長女だし、もともとの性格もある。
でも、子供心に私は、お母さんが心から楽しんでいる姿が見たいと、願っていたように思う。
贅沢な想いなのだろうか。
自己犠牲の上に成り立つ母性はいつだって美しいとされているけれど。

母となった今、自分ごととして置き換えて考えてみる。
私は、甘ったれの末っ子で、もともとわがままな性格だ。
母に願ったようなわがままな母親になったら、家庭が崩壊してしまう。

それでも、自分の世界をもって、人生を楽しんでいる背中を息子に見せたい。
そうして、大人って楽しそう!早く大人になりたい!と思ってほしい。
少なくとも、人生ってなんだか面白そうだな、と希望をもってもらえたら…

今の自分の姿はどうかな、とふり返ると、家事や育児に追われる日々で、自分自身について考える余裕がなくなっていることに気がついた。
正直、焦る。
落ち着け、落ち着け、となだめすかして、妊娠してから、とんとご無沙汰していた香水瓶を手にとった。
香水を集めるのが好きだったことを思い出した。
今度、新しい香りを探しに出かけてみよう。

そして。

今からでも遅くない。
母にも、少しは家族に迷惑をかけるくらい、わがままな時間を過ごしてほしいと願っている。

麻佑子

#日記 #エッセイ #母 #子育て #育児



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