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優しい子どもがまっすぐ前を向いてがんばれる世界がほしい

書き終わって思う。朝の何気ない1コマから、まさかこんな結末に至るとは、何気なくこのnoteを書き始めた時には思いもしなかった。

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昨日仕事から帰ってきたら、向かいの壁に蛾が止まっていた。木の葉の擬態がうまそうな蛾で、幸い気持ち悪さはなく、あぁ、いるな、と思いながら帰った。

朝ドアを開けると、向かいの壁にはエメラルドグリーンの卵があり、私が家を出たその足元にも、同じもがあった。ふと目線を横に向けると、昨日の蛾が地に伏せていた。多分死んでいた。

あ、産んだから力尽きたのか。

私の頭にはなぜかそのとき、卵を産むと一気に弱くなる蛾の怪獣・モスラが浮かんでいた。何かを産むって、すごいエネルギーだよな。まして命ならなおさらだよな。おつかれさま、と朝から妙にしんみりした気持ちになった。

さりとて玄関前で毛虫が生まれるのは困るので、出かける前に水で流してしまおうと思った。が、これがなかなか流れない。人間の赤ちゃんなんて、手をかけなければすぐ死んじゃうのに。大事に大事に育まれて育てられるのに。蛾に生まれたきみたちは、もうバラバラなのね。ひとりで強く生きるのね。きっと雨に打たれても生き延びようとするのであろうその卵に、命の強さを感じた。


怪獣映画がシリーズ化されなくなった時代から、モスラという怪獣は、だいたい同じ描き方をされる。日本にピンチが訪れて、大人のモスラがはるか遠い島から呼び出される。だけどそのモスラはもう卵を産んだ後だから寿命が近くて力がなく、だいたい序盤で死んでしまう。その後、なんやかんやで子どものモスラが半強制的に孵化させられ、まだ幼虫のモスラが海を越えて日本にやってくる。母モスラの死に目に立ち会えるパターンもあれば、母モスラが死んだあと孵化させられて会えないパターンもある。

そして生まれたばかりの子どもモスラは、目の前の強敵と闘い、その諸々のさなかに繭をはって成虫になり、若くて力にあふれた大人モスラとなって敵を倒すのだ。

生まれてすぐ道の強敵の前にさらされ、自分で考えて戦い、早く大人になってその困難に立ち向かうことを要求されるモスラ

そんなに早く大人にならなくてもいいのに。周りの都合さえなければ、きっともっと子どもでいられたのに。もうちょっとがんばれよ人間。都合のよくモスラを頼るなよ。

大人になってからそんな風にモスラを見ることもあった。周りの都合で早く大人にならなければいけない優しい子どもは、今もこの国にはあふれている。どうして子どもが子どものままでいられないんだろう。どうして子どもが子どものペースで歩んでいくことが難しいんだろう。

ヤングケアラーや格差や貧困と言ったニュースを見るたび、そう思う。逆にいつまでも子どもでいる大人も、世の中にはたくさんいるのに。

大人だって命がけだけど、子どもだって命がけ。そんな世の中はどうしたら変えられるんだろう。何ができるんだろう。

優しくて前を向いてがんばりたい子どもが、何の心配もなく歩いて行ける、そんな優しい世界はどこにある?


そんな優しい世界を作れる大人になりたい。手を伸ばして届く世界は、決して広くはないけれど。


結局、玄関前の卵だけは最終的に掃除した。蛾の子どもには優しくなれなかった。

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