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「何者かになりたい」とか言ってる程度で名を背負う重みとか耐えられるわけない

「好きを仕事に」「名前に付加価値」「それで食べて行けたらいいな」。
甘い。「名を背負う」って、多分そんなことを考えずに、ひたすら「自分の名前に価値をつける努力と覚悟」を結果としてした人の結果論だ。
そんなことを、彼は背中で語った。

以前この記事で書いた卓球の試合で、実はもう1人、私には印象的な選手がいた。この選手を、以後I選手と呼ぶ。

I選手は、とても有名な選手で、強豪チームのキャプテンを務めている。個人出場でも上位シードで、さらに上の大会に行くのが当たり前で、トーナメントでI選手と当たったら、それだけで「運が悪かったな」「ここまでだね」と試合前から声が漏れてしまうような、そんな選手だ。

実はこの試合で、無名のルーキーが、I選手に勝利した。このルーキー、確かに実力はあるけれど、それまでの大会で目立った実績はなかった。I選手とは比べるべくもない雲泥の差である。

I選手が不調であったこと、ルーキーの調子がよかったこと、ルーキーがメンタル強めの選手で、I選手のことを知っていても、そこに対していたずらに緊張したり、恐れおののいてしまう選手ではなかったこと、要素はいろいろあるが、結果として、ルーキーはI選手に勝利した。会場中が目を疑った、大会1番の大番狂わせだった。

ルーキーは「あのI選手に勝った選手」として、その後多くの人から声をかけられた。全然知らないほかの選手から声をかけられ、I選手の所属する強豪チームの選手からも認識され、声をかけられ、最終的には大会運営役員やのほかのチームの監督にも声をかけられていた。ルーキーは、それに律儀に対応しながらも、なんで自分がそんなに声をかけられるのかあまりわかったいない様子だった。

もちろん、ルーキーはすごいのだが、この光景に、私はI選手のネームバリューに改めて恐れおののいた。「I選手に勝った」言ってしまえば、それだけだ。たった1人に1度勝った、それだけ。それは、ひとえにそれまでI選手が築いてきた実績が、「I選手」という名前が、それだけの重みがあったことを意味する。

この大会は、年齢制限があり(この言い方は正しくない気もするけど)出場者は総じてとても若い。それだけの年数で、I選手は自分の名前にそれだけの価値をつけた。

「何者かになりたい」とか「見つかりたい」とか「好きなことで稼いでいきたい」とか「フォロワー◯ケタがんばります!!」とか、そんなことを言う(彼より年上の)人間が山ほどいるこの世の中で、彼は卓球という分野においてそれだけの価値を自分に付加し、そしてそんな自分であり続けるために、負荷を背負い続けている。

それは負けられないプレッシャーであり、日々犠牲にしている様々なものであり、私には想像もつかない何かだろう。

ルーキーが一躍スターとなった一方、彼は「無名の選手に負けた」汚名を着たことになるのだから。そしてそれは、彼の環境も、プライドも、翌日のプレイにも、影響を及ぼしていたのだから。

それでも彼は、ただ努力をするのだろう。何者かになりたいとも見つかりたいとも考えず、ただ「強くなる」そのためにまた、卓球に向き合い、チームメイトと努力するのだろう。


きっと彼はまた、さらに強くなって返ってくる。灰の中からまた生まれてくる不死鳥のように。

強くなって返ってきてほしい。そう思った。

そして私も、年長者として、負けてはいられない。

I選手に縁もゆかりもなく、認知も全くされていない私だけど、彼を思い出すにつけ、勇気をもらう気持ちになる。

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