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自発光と呼ばれる男・山田涼介って本当に自発光なのでは

山田涼介ってもう3周回って本当に人間じゃないんじゃないの。

かつて「完璧な山田は完璧じゃない。むしろめっちゃ人間」と以下のnoteを書いた私だが、

ジャにのチャンネルで「普通の人間らしさ」を見れば見るほど、逆に「え、この人もしかして…」そんな気がしてくるから山田涼介って怖い。

ジャにのチャンネルにおいて、KAT-TUN中丸雄一が、山田涼介を「すげえジャニーズの人だな」と評し、SexyZone菊池風磨が「顔以外は意外とジャニーズの人じゃない」と評した以下の動画(6'11頃)


どちらの評も、正直わかる。

顔立ちや過去ジャにので発揮した「その動画は出してはいけない」というジャニーズブランドを意識した線引きセンサー、音楽番組やコンサートでの立ち居振る舞いとスター性は、ジャニーズの模範的なあり方と言える。「尊敬する先輩」として幅広い後輩から名前があがる事実も、それを裏付けている。

なんならジャにのでの山田の呼ばれ方は「自発光」だ。これが「すっげぇジャニーズ」のスターでなくてなんとする。


一方、そんなジャにのチャンネルでの山田涼介は、「なぜその人気とそのお顔を持ったうえでそんなに普通の感覚を持っているの…?」と言ってしまうくらい、いい意味で世間ずれしていない。自ら光ってるのに。

そういう意味で、山田涼介は「ジャニーズっぽくない」のだろう。

この動画の山田相関図ver.で、山田は師匠として「堂本光一」を挙げている。そのほか、岡田准一、二宮和也と、それぞれ別のことを学ばせてもらった、と言っているけれど、1番に出てくる「堂本光一」のスタンスも、おそらくきっとこうなんだろうなぁ、と思う。


光一もまた、ジャニーズの象徴のような王子様ルックスであり、舞台への愛情、舞台へのストイックさ、「ジャニーズとしての線引き」をしっかり持ちながら、その一方で全く王子でもない一面、時には共演者から「お前めんどくさいよ!!」と言われるような一面をさらけ出す。

光一もおそらく、自ら光を発する「すっげぇジャニーズの人」でありながら、「ジャニーズっぽくない」人なのだろう。

そして、ここに対峙してくるのが、東山紀之およびそれを尊敬する先輩として掲げる中島健人なのではないだろうか。彼らはおそらく、「すっげぇジャニーズの人」であり、おそらく「ジャニーズっぽい人」と評されるのではないだろうか。


多分ここには、「超異次元にあって普通」か、「超異次元にあって異次元足らんとしている」か、そういう差異があるのだと思う。


光一も山田も、そもそもの自発光加減が結局常人離れしていて、その原石を磨き倒したうえで「普通」に生きている。東山さんや健人が普通に生きてないとは言わない。でも常に人一倍「ジャニーズの体現者」として、いろいろ意識して生きているとは思う。それを自らに「自分にとっての普通」と課しているように見える。

ことわっておくと、ジャニーズは基本的に「ジャニーズ」を背負っていると考えている。たとえ「僕らジャニーズですよ!」とか、「君ら、ほんまにジャニーズ?」というやりとりが生まれるバラエティの場面が生まれたとしても、大半は、「ジャニーズの看板」を意識している。だけど、東山さんや中島健人は、おそらく別格だ。


どうして、それだけ「普通」でいられるのか。あるいは、どうして「自然体」でいられるのか。そこまでひっくるめて、山田は光一の背中から学んだのか。14歳でデビューして、キャリアも積んで、どうやってそこまで到達したのか?

気になる。気になりすぎる。めちゃめちゃ知りたい。奥が深すぎる山田涼介。


やっぱり3周回って人間じゃない説は撤回する。

山田涼介ってジャニーズ的人生、5周目くらいなのかもしれない。


おしまい。


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