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⑤ポニーテールと赤いリボン

ハイティーンブギ。
元々、漫画は好きで読んでいたけど、実写映画の主演は「マッチ(近藤真彦)」で、私的にはイマイチだったなぁ・・・。
あの「モモコ」もポニーテールだったけど流行ってたワケじゃなかったと思うんだよね。
だって私の周りには、他にいなかったもん。

私は、A先輩と付き合うようになり今まで以上に、ちょっとした有名人になりました。
その頃、癖毛だった私は髪の毛を1つに結んだポニーテールにしていて、赤いリボンを付けていたのがトレードマークになっていて、しかも、自分が思っていた以上にA先輩は他校や、けっこう上の年代の人達にも知られていたので、学校以外でも色々な人に声をかけられるようになりました。
毎年ある、市内の神社の「お祭り」に一緒に行った時なんかは、露店を出してる人達に次々と呼び止められては「なんだ?!お前の彼女かっ?!」って冷やかされては、べっこう飴やフレンチドックをくれて、それが面白くもあったのですが・・・
それと同時に1つ上の女子の先輩達からの風当たりは激しくなりました。
そのくらいA先輩を好きな人が多かったんですね〜。
いつの世の中も、いくつになっても、女同士の問題で1番面倒なのは、妬み、やっかみ。です。
ひどい時には、私の目の前まで来て「なんでこんなヤツ〜〜っ」と、泣き出す人もいたくらいでした。
ある日の放課後、小学校の時から仲良くしてくれていた女子の先輩が、そっと私の所へ来て「Aのこと好きなの?」と聞かれ「まぁ・・・」と、だけ答えると 私の手を両手で握って「ごめんね。」と言って悲しそうに帰って行きました。
それ以降、その先輩とはどこかで会っても目をそらされて話しもしなくなりました。
周りの同級生達の手前、私とは仲良く出来なくなったんだろうと、察しは着いたので、私もそれ以上話しかける事は止めました。

でも、A先輩が居る以上、前のように私を呼び出して手を出す事も出来なくなったらしく・・・悪あがきなのか?色んな噂を流されるようになり「あの女はヤリマンで、人の男を寝とる」とか「売春してる」とまで言われた事もありました。
当時は携帯なんてなかったので、家に嫌がらせの電話が来る事もありました。
そこまで行くと、なんだか?だんだん疲れて来ちゃって・・・
「私、ホントに?A先輩のこと好きなのかな?そこまでして付き合ってなくても良いんじゃない?」とか「別に私から付き合って欲しいと言ったワケじゃ無いし・・・」とか、考えるようになってました。

そんな私の状態をA先輩は、ちゃんと知っていたんでしょうね・・・。
同級生の中にも、私の事を嫌ってる先輩と仲の良い人が数人居て、ちょっとしたキッカケから口喧嘩になった事がありました。
その事を、誰かから聞いたらしいA先輩が、休み時間に突然2年生の教室へ入って来たと思ったら
私を指差して、教室に居た全員に向かって
「こいつ、俺の女だから。何かあったらタダじゃおかねーから。よろしくな。」と、だけ言って、本人は笑いながら戻って行きました。
私は、何が起こったのか?最初は訳が分からなくて、アッケに取られてポカーンとしていたものの・・・
ハッと気が付いて状況を飲み込んだ後は、恥ずかしいったらありゃしない!!
そこに残された 私は どーすりゃ良いのか分からなくて焦っているのに、女の子の友達にはキャーキャー言われるし、同級生の男子でさえ「カッコイイーーー😍」と、言ってる始末。。。
いや・・・まぁ確かに・・・お陰様で、それがあったからなのか?
正面切って私に悪口を言ってくる人は減ったかも?だったけど・・・
いやはや。。そんなこと男性に言われたのは、後にも先にもこの時くらいでしたね〜。
この話は、今でも同級生が集まると話に出るほど皆んな覚えているらしいデス。
はい。。。(汗)

そんなある日、大事件は起こりました。

今でも忘れもしない、木曜日の4時間目。
ちょうどその時、教室での私の席は1番後ろの1番廊下側だった。
夏の暑い日で、ドアを開けたまま授業をしていたので廊下を通る人がすぐに分かった。
古い木造の2階建て校舎で、1階に私達2年生の教室があって、2階に3年生の教室があった。
授業が始まって少し経った頃、校舎の1番端にあった階段から3年生の集団がガヤガヤと降りて来た。
みんな手には、木刀や鉄パイプ、チェーンなど武器っぽい物を持って振り回しながら歩いてる。
先頭はトップだと言われていた先輩で、その横にA先輩が居た。
私は机の椅子に座ったまま、顔だけ廊下に出して
「なーに?皆んなでどこ行くの?」と声をかけると1人の先輩が「これから職員室に殴り込みさ♪」と、笑いながら教えてくれた。
あまりにも、いつも通りフツーに言うので「えーー!見たーい♪」と言って廊下に出るとA先輩がスッと来て「今日はダメだ。ここで大人しくしてろ」と教室の中に押し返された。
その感じが、いつもと違ったので なんだか嫌な感じがして、言われた通り、そのまま教室に居ると隣棟にあった職員室から物凄い音がした。
ガラスというガラスが次々と割られて、何人もの怒鳴り声と叫び声、色んな物が壊されているのが離れてても分かる。
授業をしていた先生達も教室を飛び出して、皆んな職員室の方へ走って行く。
生徒達も、みんな教室を飛び出して次々と向かったけど途中で数人の先生達に止められて、大騒ぎになってる。
その向こうは消化器が破裂して薄ピンク色の粉が飛び散って煙のようになってる。
誰が推したのか?火災報知器のベルが学校中に鳴り響いた。
しばらくしてパトカーが来て警察の人達が学校の中に入って来た。
いつも笑って話してたはずの先輩達の大きな声や、先生、警察、沢山の声だけが学校中に響き渡っていた。
まるでTVドラマの「金八先生」を見ているようだった。。。

どのくらい経ってからだろう?
興奮気味に大騒ぎしている人や、窓からずっと外の様子を実況中継してる人、とにかく大騒ぎでごった返してる生徒達の所へ各クラスの担任の先生達が来て「全員教室に入れ」と教室の中へ押し込められ、詳しい説明もないまま「とにかく今日は帰るように」と、全員帰宅させられた。
玄関から外に出ると3年生の女子は泣いてる人も居た。
そのまま、次の日は臨時休校になったので、思いがけず連休になったから、あれが「木曜日」だったって覚えてるんだよね。
そして、次の日の金曜日の朝刊。
1面の表紙に大きくウチの中学校の写真がどーーんと載っていた。
その頃は、新聞なんて読まなかったけど・・・あの新聞には何て書いてあったんだろう?と、今なら読んでみたいと思うな。

数日後、トップ張ってた先輩とA先輩、その2人と仲の良かった3人の先輩達。
合計5人は少年鑑別所へ送られると聞いた。
それ以外の先輩達は、なんせ市立校なので「退学」が無いため、停学処分など、それぞれ、それなりの処分だったらしい。
A先輩とは、それきり連絡も取れないままだった。
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事件から1週間以上が経った頃かな?
A先輩達と一緒に鑑別所へ行く事になっていた1人が学校へ来てて、私は、たまたま廊下で会ったので少しだけ話を聞けたのでした。
鑑別所へ行く前に一時的に準備や学校側との話しなどの為に来たらしく、先生でも親でも無い、どこかの係官風の2人が見張りのように同行していて、その人達と一緒に、用事が終わったらすぐ行くという事。
あの襲撃事件の時、本当はA先輩は皆んなを止めようとしたらしいけど、もう止められるような状態では無かったこと。
そして・・・
「お前の事気にしてたぞ、ちゃんと待っててやれよ」ってこと。
ほんとは、皆んな優しい人だし、正直で、根は良い人ばかりなのに・・・。

それから3ヶ月くらいが経ち涼しくなった頃に
突然「お勤め」が終わったA先輩と学校で会いました。
髪も短くなって、ちょっと前とは違う感じにはなってたけど、八重歯の見える笑顔は変わって無かったかな。
話に寄れば、A先輩は数ヶ月後に控えていたはずの卒業式を待たずに、札幌に引っ越す事になったと教えられました。
この時、不思議と泣くワケでも、騒ぐワケでもなく普通に話していたような気がしますが・・
正直、この時の事はあんまり覚えて無いんですよね。
元々、家庭が複雑で母親とお姉さんと3人で暮らしていた先輩は、学校で問題を起こしてから、お母さんが困って親戚に相談し、一緒に札幌へ行く事になった。みたいな話しだったと思います。
とにかく、携帯もSNSもない時代ですから。
まさか、そんな先輩が「文通」などするわけも無いし、私の父親が次期のPTA会長になる事も決まっていたので、そんな先輩からかかってきた電話を取り次いでもらえる訳も無く・・・。
結局、そのままお別れになりました。

数年後、高校の修学旅行で東京へ行った時に、駅に会いに来たのを覚えてます。
きっと、誰か?連絡を取れる人が居て教えたのでしょうね。
札幌へ行った後は高校にも行かず、反社関係の知り合いに誘われ足を踏み入れたものの、性に合わず逃げるようにして東京へ行って働いていたそうです。
それが、その先輩と会った本当の最後でした。

その頃は、私も、もうポニーテールでは無く、その時 流行っていた「聖子ちゃんカット」になっていました。


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