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⑯小さなおうち

子供は1番の理解者だと思う。
私が何も言わなくても、子供達から父親のことを聞かれた事は無かった。
子供は子供なりに気を使ってくれていたんだろうな・・・。

家を出た私は、車に積んであった荷物をアパートの部屋へ降ろしてから実家へ向かい、1人暮らし時代に使っていた物や学生時代の物など実家の部屋に残っていた使えそうな物を運びました。
ベッドは折りたためるものだったので、なんとか1人でも運べたし布団や小型のチェスト、カラーボックス、フロアマットに折り畳みテーブルと少しの食器・・・
東京の部屋は1人暮らし用のワンルームだったので、そこで使っていた小さなTVと小型の冷蔵庫を取ってあったのは大正解でした。
実家の両親は、私が1人でやっている事を知っていながらも、一切、手も口も出しませんでした。
離婚する事に反対していた父の手前、母は何も言えず困った顔をするばかり。
父は、私が家を出ると決めて行動している事を母から聞いて知っていても、そこで手伝ったりすると、周りの人や街の人達から実家の親が「離婚の手伝いをした」と見られるから。と、怒るばかりで手伝いなんてしてくれるはずもなく・・・。
そこが田舎町の本当に厄介な所で、それなりに名の知れた「お店」が閉店した上に、そこの後取り息子夫婦が離婚した。なんて話は格好のネタになり、あっという間に街中の噂になるのは当然のことで、しかも、この話の④⑤あたりから読んでくれてる方なら、お分かりだと思いますが・・・街には私の10代の頃を知ってる人もそれなりに居て余計何を言われるかわからない。
田舎町のそー言うところを私も嫌と言うほど知ってるだけに、そんな両親にも特に何も思う事はありませんでしたけど・・・実際、後から随分と勝手な話しが広まっていたのも事実だし。
それよりも、その時は子供達とのこれからの事を考えるだけで必死で、それどころじゃ無かったので。
とにかく学校と幼稚園が終わる時間まで1人で運べる物を運びました。
有難い事に、借りたアパートの部屋には前に住んでいた人が置いて行ったストーブが付いていたので、なんとか寒さも凌げるし「子供達の物さえあれば、なんとかなる。」そう思って部屋の準備をしました。
あっと言うまに時間が経ち、学校が終わる時間に合わせて校門の前へ迎えに行き、まずは長男を乗せてから次男の幼稚園へ迎えに行きました。
何も知らない子供達は、珍しく車でお迎えに来てもらったと喜んで乗っていました。
アパートへ着き子供達と中へ入ってから初めて来る場所に興味津々でキョロキョロしている2人に「今日から ここに3人で住むんだよ。ここは お母さんと、●●(長男)と○○(次男)3人だけの新しいお家なの」と話すと、よく理解できていなかったようで「お泊まりできるの?」と喜んでるくらいでした。
子供達の荷物を整理してから夕飯を準備し小さなテーブルに3人で座り、お喋りしながら食べた後 一緒にお風呂に入りました。
流し台の横に付いた簡易性のBOXみたいな箱が「お風呂場」で、畳1畳分くらいの箱の中は半分が浴槽、もう半分が洗い場になっていて小さな子供が2人とはいえ、全員でいっぺんに入れるような浴槽では無かったので1人づつ順番に洗っては入って、入っては洗って、子供たちは面白がって遊びながら入ってました。
お風呂の後はソファー兼ベッドにしたシングルサイズのギシギシ鳴るようなパイプベッドの上で、近くに行かないと誰が映っているのか?も分からないくらい小さなテレビを一緒に見たり、翌日の学校の準備と幼稚園の用意をしたあと、今まで遊んでいたベッドの上に乗せた1組のお布団に3人で一緒に入りました。「壁側はお兄ちゃん、真ん中は弟くん、外側はお母さん」って場所を決めました。「でも明日は場所交代ね」なんて3人で笑って話しながら寝ました。
翌朝、まだカーテンが無かったので布を画鋲で止めて吊るしてあった窓から、お天気が良いのが分かりました。
炊飯器が無かったので お鍋でご飯を炊いてお弁当と朝食を作り、お兄ちゃんに通学路を教えるため3人で一緒に手を繋いで歩いて家を出ました。
帰りは真っ直ぐ 実家の おばぁちゃん家に行くように教えて、担任の先生にもそうお願いしてから次男を幼稚園まで送って、次の日から幼稚園バスの乗り場が変わる事と帰りは迎えに来るのでバスには乗らない事をお願いして自分はファミレスの仕事へ向かいました。途中で実家の母へ連絡し私の仕事が終わり次第迎えに行くので、それまでの間だけ息子を置いておいて欲しい。と、お願いしました。
夕方、仕事が終わってから2人を迎えに行って一緒に帰り、前日と同じようにご飯やお風呂をしていると、夜になって長男が「今日もここに泊まるの?」と聞いて来たので「そうだよ。今日だけじゃなく、これからずっとここに居るんだよ」と答えると「今までのお家には、もう行かないの?」と言うので「もう、あそこはお家じゃなくなったの。ここが新しいお家なんだよ」と言うと「自分と弟とお母さんだけ?」と不思議そうに言うので「そう。これからはずっと3人だけなの。3人だけじゃイヤ?前のお家がいい?」と聞くと、少し考えてから「ううん。新しいお家だし、お母さんと弟が一緒ならいい。でも、ここには お友達は呼んじゃだめなの?」「全然ダメじゃないよ。いつでも連れて来て遊んで良いんだよ♪」「それなら良かった♪クラスの〇〇ちゃん家、ここから近いんだよ!明日の朝も一緒に行くんだ!」と、泣くわけでも無く、いつもと変わらずに話しました。
それ以降、子供達の方から父親や義母のこと、家のことを聞いて来る事は無かったです。
この時、まだ7歳と5歳だった息子達。
本当は、もっと色々なことを聞きたかっただろうし、言いたかっただろうと思いますが、子供って小さいながらに、ちゃんと親のこと分かってるんですよね。

数日後、郵便物などを受け取れるようにするため3人分の現住所変更と郵便局の手続きをしました。
それが終わってから学校と幼稚園に事情を話し、住所が変わった事と今度から何か連絡がある時は私の携帯電話へするようにお願いしました。
その頃は、ようやく個人でも携帯電話が持てるようになっていたので随分と助かりましたね。
その頃から少しづつ私と子供達が家を出た事が知られるようになり、それを知った友人達がビックリして「どこに居るの?」と連絡をくれたので場所を教えると様子を見に来てくれて、何もない部屋を見て帰ったと思うと次に日に「家で使わなくなったモノだから!」「家にあったから!」などと言いながら、時計やカーテン、タオル、クッションなどなど・・・色々な物を持って来てくれました。
さらに数日後、その友人が「子供達が居るのに何も無かったら困るでしょ!」と、元の家から「必要なモノもらって来よう!旦那だって子供達のためと思えば生活用品くらいくれるでしょ?!」と言い出し「私は顔も合わせたく無いんだよね」と、言うと「あんたは家の鍵を開けるだけで良いから」と、言うことになり・・生活用品をもらってくる事になりました。
実際、夫も義母も私が携帯電話を持って出ている事を知っているはずでしたが家を出てから1度も連絡は無かったので。
一応「勝手に入って不法侵入って言われたら困るから」と、取りに行く事を夫に連絡してくれたそうで、おかげで当日は私も玄関まで行ったものの顔を合わせる事もなく洗濯機や子供用のタンス、2段ベットと学習机など、私1人では運べなかった物を持って出て来てくれました。
小さなアパートに入らない物は実家の私の部屋へ置いておく事にして生活に必要な物だけ部屋へ運びました。
小さな家は一気に狭くなりましたが、おかげで子供達と3人。それなりに不自由なく生活をできるようになりました。
この時「可哀想で見てられない。なんでも良いから荷物取って来てやろう!」と、動いてくれた友人こそが数年後「子宮頸がん」を発症し闘病の末に他界した本人で、その後 友人達と「がん患者さん」に携わるボランティア団体を立ち上げるキッカケになった皆んなの「お姉さん」的な存在だった人です。
その後も地元の銀行に勤めていた事から色々とお世話になるのですが・・・本当に何から何まで お世話になった、感謝しても仕切れないほど面倒をみてもらった人なのでした・・・。

〜つづく〜


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