見出し画像

初めてわたしを先生と呼んでくれた女子高生が、わたしに教えてくれたこと。

個別指導塾で約2年間バイトをしていた。

中学生の頃、高校受験のために通っていた塾だ。

もともと、誰かに何かを教えるという行為が好きだった。
だけど、塾のバイトは割に合わないっていうし、大変そうだし、と思ってやらずにいた。



でも、よく考えたら、

「人生で"先生"って呼ばれるチャンスって、これが最後じゃね?」
先生って呼ばれたい!!!!

って思って、大学2年生の夏に急に始めた。

実際、割に合わなかった。
授業準備のために、授業開始の20~30分前には教室についていないといけない。
授業の後はカルテを書かないといけなくて、少なくとも15分は教室に残っている。
なのに、給料は実際の授業時間(80分)きっかりしか出ない。

生徒が欠席して授業がなくなることもしばしば。
しかも、今どき東京23区内の塾のバイトで時給1100円。笑



まあでも暇だったし、1年だけやってみよ~という気持ちで、
1年経ったらやめます。と塾長にも伝えていた。




「先生」とちゃんと呼んでくれたのは、その子が初めてだった。
都内の女子高に通う、高校2年生のナナちゃん。(仮名)

当時大学2年生だったわたしとは歳も近く、とにかくお喋りだったナナちゃんとはすぐに意気投合した。
で、わたしはナナちゃんの英語の担当になった。


ナナちゃんの成績はすぐに上がった。
わたしが担当になった次の定期テストで、95点を取って、クラス1位になった。
と言ってもわたし的に「これをした!!」みたいな実感がなくて、塾長に褒められても
「何もしてないっすよ、マジで。」
という感じだった。



受験が近づいてきて、ナナちゃんが英語の授業のコマ数を増やすことを希望したけど、
わたしは別の生徒との兼ね合いとかでどうしても予定が合わず、もう1コマは別の先生に担当してもらうことになった。


ヨシダ先生(仮名)は、本業は何なんだかわからないけど、
もうこの塾では5年働いているという、ベテランの40代の男性の先生。

ヨシダ先生は、厳しい先生だった。
それに比例するように、わたしの授業はどんどん緩くなった。
喋ってたら30分経ってたとかあったし。笑
宿題をやってこなくても許しちゃってた。





で、約束の約1年が経過して、辞めようと思った。
ナナちゃんは指定校推薦を狙っていて、今のまま行けば間違いなくその枠を勝ち取れる成績はあったし、
塾って基本的に年度の変わり目じゃないとやめられないので、ナナちゃんのことは気になったけど、さすがに割に合わないバイトもう1年はキツイ、と思っていた。
ナナちゃんとは塾をやめても会えると思っていたし、勉強だっていつでも教えようと思った。


塾長に伝えた表向きの理由は、
「大学3年生で就職活動も始まるし、サークルも引退前最後の年なので、頑張りたいから。」とかそんな感じだった。





とかなんとか、色々な言い訳をしていたけど、
本当の本当は、自分に自信がなくて、不安で、辞めたかった。

ヨシダ先生が加入してからのナナちゃんは、明らかに勉強量が増えたし、覚える単語の量も質も上がったし、成績ももちろん上がった。
ヨシダ先生はわたしに相談しながら指導してくれたけど、さすがの経験と知識量で論理的な学習計画が組まれていた。

わたしなんかがずっとやっているよりも、ヨシダ先生にやってもらった方がナナちゃんのためだ、って思って、

大して指導力もなくて、教えるのは楽しかったけど得意ではなくて、
分かってくれているのかくれていないのか、分からない時間が怖かった。

だから、逃げようとしていた。





ナナちゃんからはひとこと、
「先生、辞めちゃうの?」
と言われて、
「うん、でもナナちゃんとはこれからも会いたいって思ってるし、勉強もいつだって教えるよ。」

「そっかあ」
と、それだけだった。





それから2週間後くらいだっただろうか。授業終わりに塾長に呼び出された。
「大川先生、辞めるの、考え直してくれない?」
「え、どうしてですか?」

「ナナちゃんがだいぶショック受けちゃってるみたいでさ。
お母さんも、最近食事もまともに摂らないんです、って心配していて。
担当減らしても良いから、考え直してくれない?」

びっくりした。
ナナちゃんは全然そんな素振りを見せていなかったから。






「正直、忙しいのもあるんですけど、わたしがこのまま教え続けない方がいいんじゃないかなって不安もあるんです。」
塾長に初めて打ち明けると、

「そうだったのね。
でも、授業の進め方とか学習計画に関してはヨシダ先生が分かっているから、全部1人で分かろうとしなくても、今までのように2人で相談して進めていくので全く問題ないと思うよ。

それよりも、
ナナちゃんが大川先生に会いたいって思って塾に来てくれて、
大川先生を喜ばせたいって思ってテストの勉強頑張って、
大川先生っていうお姉ちゃんみたいな友達みたいな存在が出来て、
色んな悩みを話せる存在ができて、
"わたしじゃなくてもいい"って言っていたけど、そういう存在で居続けるってことは、大川先生にしかできないことなんじゃないかな?





結局、週1に出勤を減らして続けることになった。
「大川先生、続けることになったの?!??」
「うん、ナナちゃんのせいでもう1年だよ😮‍💨」
「なにその言い方!!!!」


結果ナナちゃんは、予定通り指定校推薦で第一志望に合格した。




時には逃げることも大切だけど、
逃げたくなった時、腐ってばっかいないで、自分が成せる意味を考えないとね、と。
わたしの方が大切なことを教えてもらった。


ナナちゃんは「大川先生みたいになりたい」と(本気か知らないけど)、高校を卒業してからその塾でバイトを始めたらしいです。週4で働いてて、生徒もたくさん持ってるらしい。今でもたまに会うけど、娘の成長を見ているみたいな気持ちになります。一緒にお酒飲みたいな!

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?